監察所の斡旋で、当局と文筆業者との懇談会が催され、執筆禁止組の文学者も参会したが、この種の会を開くことは大いに意義あることだ、作家、評論家、ジャナリズム編輯者が、必要以上に萎縮してゐる現状を当局に確認して貰ふことは、この種の会で大いに為されていい、作品の検閲がその作品の内容に依るのであつて、決して誰々の作品だからいけないといふ筆名本位でなされるといふことは勿論無い筈である。
 ▼然し前述のやうに、当局者の『思はせぶりな頭のふり方』が案外、作家、ジャナリズムに大きく作用し、当局にとつても所謂『薬が利きすぎた――』状態を呈し、当局と文筆業者との懇談会などといふ、世話の焼ける催しも開かなければならなくなつたのであらう。
 ▼必要以上に薬を利かすとか、必要以上にジャナリズム編輯者を萎縮させるといふことは、これは単に作家個人の死活問題にとどまらない、文化面の萎縮として、正常な状態でないから、吾人は文化面の明朗化を望む意味からも、当局者にその間の事情に対する適応に敏感であることを望みたい。


批評の長期戦
 良書支持のために

 ▼普通に言はれてゐる『月評』といふ意味は、現在ではその月の刊行物に[#「に」は底本では「は」と誤記]掲載された作品を、その月の間か、或は精々翌る月の間に批評をしてしまはなければならないなどといふ、考へてみると甚だ滑稽な現象を産んでゐる、これは出版ジャナリズムが批評家に与へた単なる時間的な課題に過ぎないのである。
 ▼然も多くの批評家達は、さうした現象に少しも疑ひを抱かうとせず、次々と吐き捨てるやうに、新しい作品から、新しい作品へと批評を移してゆく状態であるため、読者にとつては目まぐるしい許りで、どの作品を読まうかなどといふ選択を批評家から与へられるといふことが至つて少ないのである。
 ▼最近に至つて漸くこの著作物の印象批評と刹那主義的新刊紹介の傾向が薄れだしてきたことは喜ぶべき現象である、作家にとつてはこれらの批評家の月評的態度といふものは、有り難いやうな、又迷惑なやうな反感があらう、一つの作品が優れてゐると呼ばれるのはその作家の創作態度に、現実的根拠が深いものがあるからで、したがつてその作品を発表したと同時に、批評家の駈け足的態度で評価が完了してしまふやうな性質のものではなからう。時世は長期抗戦時代である。作家に於いても、またその作品の支持者である
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