。山田氏にして真に大陸に住みたいのであつたら、長たらしい志願文を書くまでもなく、実践的に彼地に赴くべしである。でなければ遂に口舌の徒に終るだらう。山田氏あたりが先導で作家移民団を引率して出かけてはどうか。
 ▼たゞこゝに不思議な現象は、これらの政府の大陸政策に、関心をもつものや、積極的な参加者が、所謂知識人側では、山田氏を始め思想的転向者が多いといふ事実である。一般知識人は、その無関心の故に消極的であるといつて本多顕彰氏に責められていゝかどうか。見掛けだけの積極性も知能の欠如の証明といふことにならぬかどうか。本多氏よ、『思想転向者の積極性の本質』も序でに論じてもらひたい。


政治への媚態
 島木健作氏へ一言

 ▼最近、農林大臣と農民作家との懇談を始めとして、これに類した作家と政治家との、文化工作的触れ合ひの機会が非常に多い、両者の協力がまだ試験済みでないといふ意味でも、世の批評家、評論家は、批評的協力といふ見地から、この問題をもつと盛んに採り上げていゝはずである。
 ▼ところが『国策に沿つてゐること』に対して語ることが罰でも当るかのやうに沈黙をまもつてゐる、我国の政界でも、まだ党派性が認められてゐて、批判の自由が保留されてゐるのに、最近の作家の畑では、政界の馴れ合以上に、お手々をつないだ超党派的な仲の善さである、国策が全体主義的な方向にむかひつゝある――といつただけで、作家は現実が全く全体主義化したかのやうにそれに対してポーズを示す。
 ▼島木健作氏などは最も逸早く、その全体主義的な意思表示をしたが、彼は農民文学者だけでは農民文学ができないから、農村問題に関心をもつ、すべての人々の協力の必要性を説き『そして関心の持ち所は共通だから、この協力は可能なのだ――』といつてゐる、どこから割り出して、農村問題に関心をもつてゐるすべてのものが共通だなどといふことができるのか、強ひてその共通のものを軍人、政治家、商人、作家等から、島木式に求めるとすれば、これらの個々の人々の、それぞれの中から、或る『均等に』含まれてゐるものに、共通性といふ名前をくつつけて、それと結びつく以外に方法はないのである。
 ▼農村問題の関心の持ち所などが、農民文学を生むのではない、農村の現実が農民文学を生むのである、本質的に言へば、農村問題に最も関心をもつてゐるものは農民以外にはないのだ、殊に共通性で
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