ゐ自分の書いた文章の後先に、自己弁護をするジャアナリストはないだらう、また彼程自己を主張し、維持しようとすることにかけて本能的な人間も少なからう。
 ▼彼の書いたものは、そのときどきの社会情勢で猫の眼のやうにかはる、その文章は一見個性的にみえるが実はさうではない、個性などはもつてゐないのである、西洋の哲学者曰く『即ちひとが「白己」よりも「維持」の方を強調すれば、この維持は絶えず脅やかされてゐる――』と、杉山氏はその自己の方がないから「維持」の方を専門にやる、勢ひジャアナリズムに執念に喰ひ下らざるを得まい、したがつて絶えず何物かに脅やかされ、恐怖観念が彼に『死ぬ』『死ぬ』とセンチメンタルな文章を書かせてゐるのだ、しかも彼は自分は死ぬ広告文を書いて生きてゐて他人にだけ『死ぬ覚悟』を押しつけるのはどうかと思ふ。
 ▼『吾子に送る手紙』も彼の四歳と三歳の子供に、成人したらそれを読んで父親平助の覚悟の程を知つてくれと書き残すのはいゝとして、しかし何も文芸協会との従軍のイキサツまでも書き残す必要はあるまい、他人のことでも子供のことと言へば眼のない子煩悩な読者を当てこんだキョロキョロした書きぶりは嫌らしい、泣くな平助、しかも子供は他人のでも自分のでも、余り文章のダシに使ふなかれ。


作家移民団
 本多顕彰氏に望む

 ▼本多顕彰氏は日本評論十二月号で『知識階級再建』を論じ『謂ふところの知識階級の中には――こゝに自発的に再出発し、知能の欠如の証明にすぎぬ消極性を清算する者が必ず続出するだらう』といつてゐる。
 ▼この論でいへば、革新十二月号の山田清三郎氏の『現地生活を志願するの書』などは政府の大陸政策への文化的義勇兵たらんとして、当局者に向つて移住の機会を与へてくれと懇請してゐるのだから、その熱意といひ、態度といひ、知識階級再建、知識人再出発の典型のやうなものだらう。
 ▼山田清三郎氏は、自分はこれまで左翼的文章と口舌とで生きてきたが、いまこゝに転向更生して新しい実践に移るのだと、その更生の目標を大陸建設にをいたわけだ。それはいゝとして、その『現地生活を志願するの書』なるものは、だらだらと書き流した一種の懺悔文であり、自己告白たつぷりなもので、所謂転向者気質にぴつたりとはまつたものだ。
 ▼世には一言の声明書も、『志願するの書』も書かずに、黙々として大陸に移住して行つた良民もある
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