変は本格化した。
▼当局に戦地見物でもさせて貰はねば「日本的とは何か」の持ち廻り作家たちは、全く救ひのない立場に立つところであつたらう。文士の労働奉仕である戦線従軍が、大量に行はれたが、日本的問題や、民族文学の問題はこれらの作家が帰つてきて、また形を変へてやかましく囀られることだらう。しかし従軍作家の顔ぶれを見ると、消費文学の作家丹羽文雄氏のやうな、又それと類型の作家が参加してゐるのは、自ら戦地お土産の如何なるものであるかといふことは大体想像がつく。
▼我々はさういふ意味で全幅的な期待をこれらの作家にかけるわけにはゆかない。従軍も肝腎だが文学に於ける国内的な状態などもこの際充分観察して、建設的な立場に立たなければならない。幸ひ最近の現象で単行本の刊行も盛なやうであるし、書き下し長篇も出てゐるし、この種のものの書き下し長篇も出てゐるし、此種のものゝより旺盛化こそ望まれる。理論活動などもこの際本腰を入れて仕事が行はれていゝ「長期建設」などといふ言葉そのものからは何等指導原理は引き出されないが、文学の世界にそれを適用するときは自ら別な働きが加へられて多分に建設性が必要となる。
▼文化的なものの内部に於て抵抗、排除、抗争、建設などの今こそ行はれる実践期ではないか、今に始まらぬが文化的な面に於ては停戦や休戦と呼ばれることなどはもともとなかつたのだ。社会現象は往々にして作家活動を粗雑なものにしてしまふ場合がある。農村小説などに喰ひ下る国内的な作家なども尊敬したいものだ
生死を越えず
ペン部隊海軍班帰る
▼日支事変の現地視察に赴いた海軍班従軍ペン部隊の一行もどうやら無事に御帰還になつた。今回のペン部隊作家達の出発に先立つてこんな噂が流布された。「当局者の方では今度の作家のうちから二三人は死んでもらふつもりださうだ」と。勿論それはデマであるが、根拠のないこともあるまい。作家が厳格でなければならない筈の死に対する理解の態度が、作品の上では甚だルーズな態度で描写されてきた、その事実はこれまでも多い。殊に大衆作家はヱイ、ヤッといふ掛声だけで相手を斃してしまふといふ簡単さで済してきたものだ。
▼なるほど読者はそれでもすむしそれでも面白がつてゐる。しかし読者の心はさういふ作者の死の扱ひ方に対する不真実に抗議を保留してきた筈である。作家は只読者が面白がるといふ部分だけに喰ひ下
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