保護すべし
杉山のマルクス残党論
▼中央公論所載の杉山平助氏のマルクス主義の残党に与へる『地獄に生きる』の一文は近来の好読物である。杉山氏の近来のものは、往年の颯爽昧はないが、それにとつて変つて思想的な悪あがきは、壮観なものである。近来の彼の読者もまた往年のものではない。ジャナリズムに活躍してゐる彼の姿に対して、一種の快感をもつて見るといふところである。
▼ジタバタする杉山氏の姿を、良い気持で眺めてゐる読者を杉山氏は責めることはできない。何故なら、彼自身がさういふ風に読者を教育してしまつたのである。
▼マルクス主義の残党の亡霊に怯える杉山平助氏は、自己の中の亡霊を追ひ出す暇もないほど、他の亡霊を追ひ廻すのに忙がしいが、その杉山氏の状態をみると、亡霊の社交界を駈けまはる男のやうで、一本をきに歯のぬけた口をもつた紳士のやうである。彼の吐く理論的言語は未だ曾つてまとまつたことを一度も吐いたことがない。論理はスースーと歯の間からぬけるのである。甲の場所では肯定し乙の場所ではその同一のことを否定する、然もそれをなるべく素早い方法でやる、つまり手品と共通な方法で文章を書くのである。彼の口の中の歯が全く抜けてしまふまでにはまだ間があるだらう。今となつては彼にとつては抜け残つた歯が邪魔な位だ。彼の口にする処のマルクス主義の残党などは何処にもゐないので、ただ彼自身の口の中に引つかかつてゐる丈である。
▼さういふ意味で彼位曾つてのマルクス主義者に手ひどい惚れこみ方をした男はちよつと珍らしい。ジャナリズムは彼を保護するだらう。何故ならジャナリズムは彼より少し許り利巧だから、杉山氏のやうな時代的矛盾の全き反映として、立派な抽象的人物をジャナリズムが大切にしないわけはないから、有用なものはいつも利用されるだけである。杉山氏の書く文章が仮りに今後どれ程愚劣なものに化しても、客観的興味を失ふことは決してあるまいし、事実彼の今後の書くものには漸次さうしたサロン的色彩を帯びてくるだらう。
文学長期建設
作家には停戦なし
▼政治の物々しい行動に怯えたインテリゲンチャ作家が、少し許りの良心性を社会にひけらかす為に「日本的なもの」といふ抽象的な言葉を持ち廻つたのはつい最近であつた。そしてさつぱり具体的な日本解明に、足を踏み込むことも出来ず、その醜態のクライマックスを示してゐた時、今事
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