れない要素と芸術とが共同的な仕事をしてゐる事はあまりと言へば皮肉な現象である。制作展で絵が売れないといふ事は恥辱にはならない。だが商業資本家展で絵が売れないといふ事はこの世界でのみの恥辱である。しかもこの二つの矛盾をもつものは同一の作者であり、同一の絵である。商業資本家展の出品に対する考へ方に案外ルーズな見方をしてゐるといふ事は芳しくない。こゝで僕の提案したい事は制作展と商業展との劃然たる分離を心理的にもつて頂きたいといふ事だ。どつちが好い加減であつても必ずその画家は損するであらう。制作展で評判のものを商業展に列べた場合には完全に売れない。その反対に商業展でおそろしく人気のよい作品は制作展では落されてしまふといふやり方を徹底さした方がよい。両者の混同は決してよくない。商業展にはあくまで売れる絵を描くといふ事を徹底させたらよい。その絵には決して芸術的な批評を加へないといふところまで出品者は徹底した方がよい。一方制作展に商業展の販売意識を少しでも持ち込むものがあつたならば片つ端から落したらよい。しかもデパート展などは画稿料を払つたとしてもそれは一部の画家に過ぎないだらうし、多くは委托販売の形式になるのだからあくまでせいぜい売れる絵の出品を企て売つた方がよい。デパート展には制作良心なしといふ所まで徹底し生じつかな芸術良心を働かして無意識の間にこのデパート展の販売政策に絵の本質を売り渡す事がないやうに『デパート展の絵』の劃然たるものを一般出品画家が心構へして過つもデパート展の場内芸術意識のせり合ひなどをやらない様にした方がよい。何故といつてそれは無益であり、お互に不幸であるから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
小熊秀雄個展
「画観」の高木さんが、私が池袋「コティ」で突然小品個展を開いたので、何か感想を書くようにといふことである、あの個展は、言はゞ「非公開の公開展」ともいふべき性質のもので案内状も出さずほんの知人への公開といふ意味の催しであつた、私は画家でないので詩人としての絵であるがさりとて、会期中ある絵[#「絵」に「ママ」の注記]家がつくづく私の絵をみて『貴方は絵画上の造形性といふものをどう考へますか』と質問されたのにはダアとなつた。
この質問者の眼からみると、私の絵には何か画家がよくいふ『造形的なもの』が欠けてゐたのだらう、そこでさうした質問がでたわけだらう、その造形的なものの臭味をこそ脱けたいばつかりに僕はこれまで絵の上では苦心してきたのである。
そして私はこの質問者にぶつきら棒に答へた『もし造形性を無視して、僕のやうな絵が描けたらお目にかゝりたいですよ――』と実際に私は本職の洋画家の人よりも、最近では沢山画を書いてゐるのだし、素描もかなりたまつた。いつぺん吐き出してしまひたい心で個展をやつただけであつた。洋画家諸君にとつては私の絵は問題の提出的になつたやうだし、忠実に観てくれた。そして謙遜な画家は素直に、この絵の実感はどうして出したのかと質問してくれたので、私は出来るだけ判り易い言葉で、その実感の出し方についての過程を説明したりした、絵の上では私は、素人も玄人もないと考へる、日本の洋画の発展が遅々としてゐるのは、現在の社会的環境に依ること勿論だが、それよりも各個の画家が同一の作画上の問題を、同一に協力的に解決しようとしないところに、発展が遅れる理由があると思ふ、おたがひに話し合つて技術上の交換などをやつたらいゝのだが、その自由主義がない、ヱゴイズムが何か個性的な画風を確立するかのやうに思ひちがひをして排他的である、それではいけない、僕のやつた画家ではない画家(私は私自身を参考画家と呼んでゐる)何か私の描き方に画家諸君にとつて参考になるやうなところがあつたら自分の喜びだ、油絵は今年になつてから始めたといつていゝ、線の発展だけで狂ひ廻つてゐる洋画家達の群の中で、私は地味ではあるが『質感』の研究をやつてゐる形態上の変化などは今の処面白いことに考へたい、質感が充実した面を描けもしないで、線だけ踊らしても始まらないと思ふからである、デッサンは三百枚程この一年間に描いた、ペン画で小市民の生活をテーマにしたものである、機会をみてこの素描展をやりたいと思つてゐる、それからこゝで画観の谷氏へ注文があるのでそれは日本画家の素描は僕が好きなので、日本画家のデッサンも画観に折々載せて欲しいと思ひます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
超現実派洋画に就て
ヱコルド東京絵画展の感想
東京府美術館で催された独立美術系の若い洋画家たちの、集団『ヱコルド東京展』をみて、私は兼ねてから抱いてゐた超現実派の洋画に関する私の考へ方を一層確信的なものにした、どういふ形で確信的なものにしたかといふと、我国の洋画界には、まだまだシュルレアリズムの正統的な画家はゐないといふ結論であつた。ヱコルド東京といふ団体に果して幾人の超現実派作家がゐるかといふことが問題であつて、殆んど私の眼には写らないのである。
この団体の人々は、或は自分達はシュルレアリズムの団体ではないと言ふかも知れない、さういふ自覚があつたら幸ひである。
不幸なことには我国には、あまりに超現実派の立派な絵画が多すぎる、日本画の伝統は将にそれであつて、日本画の中には、実にすぐれたシュルレアリズムの絵画が多い、現在の若い洋画家は、日本画の超現実性は勿論否定もするだらう。そして自分達の求めてゐるシュルは東洋的なものではなくて、ヨーロッパ的なそれだといふだらう。
私は超現実性なるものの理解が、東洋的なものでなくて、西洋的なものであるといふ画家があつたら、それでは『君の仕事を全く唯物的基礎から出発し直し給へ!』と言ふだらう。唯物的であることが、超現実派の作品を描かせなかつたとしたら、それは真個《ほんと》うの意味のシュルレアリストではないのである。そして日本の画家にせよ、詩人にせよ、この派の人には残念ながら、東洋的理解にも、西洋的理解にも立つことのできない、宙ぶらりんの、中途半端な存在であるといふことができるだらう。
日本画の雪舟の水墨のもつリアリテはセザンヌのもつリアリテと比べて何の遜色がないといへる許りか、優つてゐても劣つてはゐないのであるし、現実主義者としての写楽の高さは、単なる観念的な現実主義者ではなく、芸術に於いて言はれてゐるところの『表現力』を併つたところの写実性であるところに写楽の偉さがあるだらう。
新しい洋画家たちは、北斎や、雪舟や、写楽などをどういふ風に観てゐるだらうか、私の知つてゐる限りの画家では、さう深い理解の上でこれらの日本の過去の作家をみてゐないやうである。日本の伝統的な良さを洋画に新しくとりいれるといへば、富士を描き、鶴や、鯉のぼりを描く努力を払う、それも悪くはないが、富士を描くことが伝統の継承でもない新しい努力でもない、同時にこれを洋画のテーマからとりのぞくことまた一層消極的である。富士とか、鶴とかいふものが日本的、東洋的であることは勿論だが、これらのものが日本的、東洋的だと言はれるやうになるまでの、歴史的な現実を考へてみたらいゝ、富士が日本的なものと言はれるやうになるまでには、相当の理由があるわけだ。それは富士が日本ではなくて、日本的現実の単なる抽象であることに気をつけたらいゝ、従つて富士を描くことを怖れる心理と、描くことの愚かしさと二つあるのであつて、それらは画家の怖れであり、愚かしさであるだけであつて、富士そのものにとつては少しも責任がないのである。たまたま独逸からアーノルド・ファンク博士といふ映画監督がきて、映画『新しき土』の中で富士をファンク博士が、富士を細長くとつたり、真丸く撮つたりしたといつて、或る日本主義者がそんな格好の富士は日本の富士ではない、ファンク博士の歪曲だといつて憤慨したさうであるが、ファンク博士許りではない、これまでにもたとへば地質学者などはとつくに『富士は三角』といふ概念をうちこはした富士の見とり図を描いてゐる筈である。
ただ画家だけが概念を変革する力をもつてゐずに、それを描くことを避け、無神経に描いてゐるだけである。そして現在に到つただけである、画家がまごまごしてゐる間に、画家以外の科学的な態度で仕事をしてゐる人々がどんどんと抽象的な日本、概念的な日本を覆して真実な日本を表現してゐるわけだ、立派に現実的基礎から出発して、超現実とも呼ばれるものが生れてゐるのを見のがして、『超現実』といふ言葉や他人の主張の尖端にとびついてゐては、ほんとうの意味の超現実の絵画などは書けることがないだらう。
仏蘭西の新進超現実派の作家サルウァドル・ダリの評論をみても、決して日本のシュルの作家のやうな甘い考へをそこでは述べてはゐない、ダリはセザンヌを観念的唯物主義者とみてゐるといふことは、私も正しいと思ふ、然しながらダリのセザンヌへの反撥のことごとくがダリとあのやうに新しい絵を描かせてゐるのであるし、同時にその反撥が彼の絵の弱点を生んでゐるのである。
観念的唯物論者としてのセザンヌが果した役割を理解しなくては、決してセザンヌを一歩も越えることができない。より強く否定したかつたなら、より強く肯定してからでなければならない、日本画の伝統を否定したかつたなら、それをよく理解し肯定するといふ仕事が残つてゐる、芸術とは現実への反撥だけで成り立つといふ態度は決してその作家を大きく肥しはしないのである、ダリは幾分さうした反撥の作家でありもしダリが現在のやうな態度をつづけて行くとしたら、ダリの行き詰りは明らかなものであり、ダリ的傾向を追ひ廻してゐる多くの日本の超現実派の作家は、当然ダリと共に没落するだらう。然も作品的にはダリの足元へも寄りつけない拙作を抱へたまゝで没落するだらう。ダリは新しい衣を着た古典主義者にすぎない。ダリの理論的根拠は一応科学的ではあるが、新しい絵だと他人に見せかけることが出来る程度の科学性よりもち合してゐない、いまどきフロイド主義的理解に立つてゐるダリを私はどうしても新しい作家だなどとは思へないのである。
ダリ自身かういつてゐる『サルウァドル・ダリが、英国のラファヱル前派の明白なシュルレアリズムに眩惑されずにゐるだらうか?』といふ言葉の中には、ラファヱル前派に対する所謂ダリ的主観と合理化があり、こゝでは完全に復古主義者としてのダリを証明してゐるだけである。ダリがラファヱル前派に眩惑することは勝手であるが、セザンヌまたラファヱル前派を忠実に観察してゐなかつたとはどうしていふことができるだらう。ダリはセザンヌを『プラトニックな石工にすぎない』とみてゐるとか、私はダリをまた『プラトニックなシンコ細工屋』と評することができる、形態の変化は芸術家の自由ではあるが、その変化が絶対的観念に於て求められるといふことなどはない、現実の変形の可変性といふことを考へることが、芸術家の良心的態度の一種である。画家がどのやうに林檎の形態を、ひんまげる自由をもつて描かうと、林檎からは苦情は来ないのであるそのことを良いことにして林檎の真実を離れて形態だけを変へるといふ態度は、少くとも自然物に対する芸術家の愛の態度ではない。もし私が林檎と同じ立場にあつて、画家が私を不自然に描いたとしたら私は『私の気持をまるきり描いてくれない不満である!』といつて苦情をいふだけである。
日本の所謂新しい傾向を追跡してゐる画家が、判らないのは理解がないのだといつて、自分の芸術の主観性をどこまでも押し通すことは勝手である、人間の寿命などといふものは、たかだか五十年か六十年である。毎年、毎年、お祭騒ぎの判らない絵を描いて、その年々だけ、良いとか悪いとか言はれてゐる間にすぐ五十年や六十年は経つてしまふだらう。つまりどんなに大衆と離れて判らない絵を描いてゐても誰もなんとも言ひはしないのである。たゞこの人々の描いた絵が所謂芸術の永遠性をもつことができない。生きてゐる間だけ灯してゐる提灯のやうに、本人が倒れると火も消えてしまふやうな無駄な仕事を
前へ
次へ
全42ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング