の観察がどのやうな計画性をもつて行はれたかといふことは問題とされねばならない、つまり観察が充分な計画性の下に行はれる場合には、そこに正しい科学的手段といふべきものが生れてくる。
福田氏の『漣』はあの波紋を、単に直感といふ観察の下に描かれたものであるかどうか、さうではなくもつと充分な科学的な計画の下に描かれたものであるかどうかといふ、この点が作者の所有する制作技術の内容を吟味する唯一の鍵なのである。鏑木清方氏が福田氏の『漣』を当時批評して『ちよつと見ると単純な仕事のやうにも見える群青の波の一つ一つの形態の心づかひ単にそれだけで見て行つても倦きる時がない[#「』」の脱落はママ]、この批評が語るやうに、この波を描いた作者の心の配り、心づかひ、といつたものは、その一線一線に現はれてゐて、それだけをみて行つても倦きないといふことはよくあたつてゐる、前田荻邨氏の波も優れたものであつて、『潮』は特選作である。いかにも生々と波は描かれてゐるが、前田氏の波に対する観察の高度な頂点は感じられるけれども、その観察に科学的認識の導入といふものが感じられない、福田氏の『漣』では、波の線はもつとぶつ切つたやうな、切れ切れの線の配列にすぎないが、実感的には波を感じさせる、高木保之助氏の『早瀬の波』といふ作品があるが、これもすぐれたもので、波に対する新しい解釈が加はつたものであるが、それでも矢張り人間の解釈といふものが、画面にぶらついてゐてぴつたりと波の実感に即しない、福田氏の漣は、その点ではその制作方法を第二段の問題としても、作者が自己の立場を、自然の対象物へ全く身を投じたといふ対象との密着性がある、農学博士の内田清之助氏が昭和八年一月号の『塔影』に花鳥画と鳥類生態写真と題して色々の鳥を語り、写真を掲げてゐるが、その中で波に立つてゐる『シギ』を撮つた写真を掲げ、その写真の漣の部分だけの拡大写真と、福田平八郎氏の作品『漣』とを比較掲載して、内田博士はかう語つてゐる。
『次に出してゐる写真は、此の写真の一部を引延したもので、その次は、御承知の、帝展で評判になつた福田平八郎氏作『漣』です、之で見ても、福田画伯の観察の鋭さには敬服する(中略)よく此の双方を注意して見ますと、漣の一部に統一を破つた、複雑な線の現れてゐる所が見られますが、絵にも写真にもやはり全く同様に現れてゐます、無論漣は物理的現象ですから、いつの場合にも、同じ条件の下には同じやうな線が現れるのに不思議はないと云つて仕舞へばそれ迄ですが、全く別箇の此の絵と写真とで、斯く迄一致してゐることは面白く思はれます――』と述べてゐる。実際の水の動きの写真と描いた絵とがぴつたり一致したといふことは、悪写実の世界から言へば、物と絵との悪どい似方といふものも珍らしくない、しかしこゝでの福田氏の漣と実際の漣との相似点は、悪写実といふ固定した制作方法の上に立つての似方ではなく、むしろその反対の最も非固定的な、自由な形式の上での自然物と創作品との一致を見たのである。
然も内田博士はさすがに科学者らしく、自然の漣からも福田氏の漣からも、最も重要な一つの事実を指摘することを忘れなかつた。然もこの博士の指摘はとりも直さず画家福田平八郎の本質をはつきりと語つてゐるし、この作者の創作手段解明の鍵ともなるのである、それは博士が『漣の一部に統一を破つた、複雑な線の現はれてゐる所が見られますが、絵にも写真にも、やはり全く、同様に現はれてゐます云々』といふ言葉である。
自然観察の妙は、実はこの点にかゝつてゐるのである、福田平八郎といふ作家の描くものに、清新さを失はぬ理由は実は、さうした、或る一部に統一を破つて複雑なもの――を、画面に感ずるからである、福田氏の作品は殆んど無構図主義だと思はせるほどに画面のはまり所を考へないやうな大まかな構図のとり方をしてゐる作品が多い、しかし出来上つた絵はぴつたりと画面にはまつてゐて、何ら構図上の欠点といふものが現はれてゐない、それはどういふ訳か、それは観賞者の視覚的焦点を、構図にもつてゆかさず色彩に分割してしまふからである、そして構図は最も効果的には、線の連絡の変化をつける事によつて、画面上を動的なものとしてゐる、福田氏の線と線との連繋は、実は非常な細心な態度で、その連繋を意義づけてゐる、『漣』に於いて観賞者の観[#「観」に「ママ」の注記]覚をさんざんもち運ばされるやうに、福田氏の作品に含まれた作者の計画性は、生理的効果にまで高めようとする野望が潜まれてゐるのである、数箇の果実をならべたものにせよ、数匹の鯉を配列したものにせよ、その配列には『或る一部に統一を破つた複雑なもの――』を方法として、かならず加へてゐるといふことは少しく注意すればすぐ理解できると思ふ、つまり福田平八郎氏は『線の発展の画家』なのである。
同時に問題となるのは、その色彩であらう、この福田氏の方法といふのは、色彩の徹底的な突離しと、手元への引寄せともいふべきもので、制作過程にがらりがらりと色を変へてしまふピカソのやり方と一致してゐるのである、ピカソと異る点は、福田氏の色の美は、色彩の平面的変化、色彩の配列的な変化を顧慮してゐる点で、西洋のピカソはその点で立体的に度胸よく色を変へてしまふ。
福田氏の作品で色彩の濃厚な出来栄へのものには、総じて平面的変化でない、立体的な生々しい物質感がでたものが多く、この質的昂揚に接するとき、若い時代的な画学生は、また一人前の画家も、福田氏の仕事の研究的対象となることを痛感するのである。
福田氏の最近の作品ではその色彩の淡い物に、色のマンネリズムに陥つたものも少くない、また同時に氏の作品の特徴として、その作品が総じて図様化されたものが多く、この模様のやうな方法が度がすぎた場合は迫力にとぼしく、質感もまた形の制約性の中に閉ぢこめられて、生々しい所謂清新なる色彩はでゝゐない。
福田氏は一言にしていへば、氏一流の物の発展の原理を自覚してゐることで、色彩に思ひがけない偶然的な変化を与へる手段も心得てゐれば、線の変化連絡によつて、第三者の視覚を自由に操縦するテクニックももつてゐて、本人は理屈といふものを非常に嫌悪してゐるらしいが、福田平八郎氏ほど理屈つぽい絵を描く作家は他に見受けられないといつてもいゝであらう。
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川村曼舟論
川村曼舟氏を論ずる場合には、氏の最近の仕事だけを観て、かれこれ言ふことは不可能である、殊に一般的には川村曼舟氏の最近の仕事を『硬化状態にあるもの』と観察してゐる向が多いやうである、愉快なことには、この『硬化状態』を本人自身それをちやんと知つてゐることである、時世の動きの中にをかれたこの老大家は、自分の作風がどの程度に硬ばつてゐるかといふことをちやんと知つてゐる、これは筆者が直接本人川村氏の口から聞いたことであるから間違ひはない、同時に氏の口からもう一つの最も示唆に富んだ言葉を聞くことができた、川村曼舟の心内の状態をそこで筆者は知ることができたのである。
これに就いては後の方で氏が自分の仕事に就いてどういふことを考へまた、将来の方向に就いて何を目標としてゐるかといふことを漸次語つて行かう、その前に川村曼舟のこれまで辿つてきた、画的な足どりに就いて一言しなければならないだらう、この作者は世間で考へる以上に複雑な存在だといふことを先づ第一の問題として提出しておく。
何故ならばといふに、曼舟氏の風景ばかりといふ、世にも映えない仕事に対して、通俗的評価はあまりにその風景許りを描いてゐるといふことを単純に考へすぎてゐるやうである。しかし実はこの風景許りを描いてゐるといふ難かしさを考へてやらねば作者が可哀さうなのである、赤い色のついた絵や、婦人の脛をちらりと覗かせるといふ美人画は、それだけで通俗的には歩の良い仕事なのである、川村氏のやうに、こつこつと樹木の繁みの重なり合ひを追求したところで、その隠れた苦心はなかなかかつてはくれない、風景を漫筆のやうに描くことをしないこの作家は、自然に対して整然とした規範を設けて、それを正確に描いてゆくといふ『硬さ』はたしかにあるが、そこにまた曼舟氏の画家としての自然観、道徳的立場があるのである、その点に注目しなければならない、自然と人間との関係に於いて、人間はあくまで、自然より優れたものとしての位置を得なければならないのである、構図や運筆に顕はれた作者の自然解釈は、とりもなほさずそのまゝその作者の道徳的種類をはつきりしめしたものである、一本の松の樹をいかに描いてゐるかといふことを、実物を前にして二十人位の日本画家に描かしてみたら面白からう、或るものはこの松の木を至つて簡単に片づけてしまふ、自己の主観の強さ、表現の自由を理由として、無いところに枝も加へ、曲つてもゐない枝を、巧みに歪曲して、美事に日本画をつくりあげてしまふ、また或る者はこの自然の松の木に執着して、心の動きがとれずに、筆をおろすこともできずに何も描かないでしまふだらう、二十人は二十様にその松の樹は描かれよう、しかし誰がいちばん正しく松の木を描いたかといふことは問題になる、主観の強さで、どんどんと木の枝をひんまげて絵をつくることは簡単である、しかし自然の在りの儘の姿は改変されてゐる、むしろこの種の画家は、芸術の自由の名の下に、表現の自由の名の下に、勝手に自然を歪曲するといふ道徳的悪の行為を経験してゐるといふべきだらう、物言はぬ自然物に対する人間の勝手な改変といふことはもし自然物が動物のやうに叫ぶことができたら、どれだけ悲鳴をあげるかわからないのである、風景画にかぎらず、物言はぬものに対する横暴なメスのいれ方をして、そこに自然愛を少しも態度としてもつことのできない画家が少くないのである、写意といひ、写実といふことはこの点に関係があらう、人間の表現は自由ではあるが、それが全く自然を絵に仕立てるために、勝手に自然の形を変へていゝといふことにならないのである、変へていゝところと、変へて悪いところとがある筈だ、それを正しく認識するところにその作者の人生観、自然観、倫理観が存在する、私は何故にそのことを強調するかといふに、川村曼舟氏の仕事の性質を強調したいからである、そこで吾人は、非常に単純な気楽な意味でいつたい風景画家は誰か――といふことを考へてみることがいゝ、さう質問されて諸君はちよつと考へざるを得ないであらう、風景を描いてゐる作者はずいぶん多い、しかしかう改まつて真個《ほんと》うの風景画家はといはれた場合にはちよつと卒急には答へられないものがあるだらう、そして漸次幾人かの人々の名は挙げることができよう、しかし真先に、川村曼舟氏の名を挙げても、決して誤りではあるまい、むしろ私は川村氏の名を挙げて、その次に来る人の名をちよつと思ひ出せない。
風景を描いてゐるからといつて直ちに風景画家とは言へないのである、自然の奴僕化した画家もある、自然の幇間《タイコモチ》化した画家もある、自然に完全にコヅキ廻されてヘトヘトになつてゐる画家もある、その場合の人間は卑しい立場に立つてゐる、それと反対の場合は、自然に妙に反抗的な画家、自然の小股スクヒ、要領よく絵にしてしまふ画家、自然を荒しまはる粗雑な頭をもつた画家、勝手に木を伐つたり、無いところに枝をつけたり、ひんまげたり独断的な野蛮主義者、など、これらは真の風景画家ではない、自然と人間との接触の姿といふものは、まちがひなく画面に証拠だてられる、漫画を描いてゐるやうに自然を描いてゐる風景画家はまことに多いのである、そしてその方が一般的には通りがいゝのである、しかしそれは『通りがいゝ』だけで、我々の精神をそこにとどめてをくやうな印象のふかい絵ではないのである。
川村曼舟氏の風景画には、人間としての自然への執着のひたむきなものがあり、そこから曼舟氏の作品の道徳的展開がある、曼舟氏は決して自然に敗北しない、さりとて自然を人間的な優位性をもつて、打ち負かしもしてゐない、川村氏の作品は、自然と人間との取つ組み合ひ
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