といふことを指摘してゐるのである。
これは日本画の本質的な問題であつて、表現の自由にも一つの制約を必要とされるといふ考へ方の正しさがある、そのことが同時に少しの表現の自由をうばふことにはならない、むしろさうしたところに新しい日本画の表現の問題の解決点があるであらう。
伊東氏の所謂美人画は、その美しいといふ現象的な理由だけで、作者伊東氏をロマンチストと解することはできない、伊東氏が立派なリアリストだといふ証拠に氏の美人画の方法の一つに触れてみよう。伊東氏の美人画は全く美しく甘くそしてロマンではある、それは事実である。しかしそれは作中から美人だけを抽き抜いた場合のことである。しかし画面全体の方法の上では、この作中美人を決して甘やかしてゐない。例へば伊東氏は好んで紅葉と美人とを組み合はせるが、注意してみると、紅葉の形の直線的な鋭いものを、美人の肉体のどこかにかならず接触さして描いてゐるといふことである。紅葉でない場合にも美人の曲線のまとまりに向つて、何かしら直線的なものを、邪険なほど、冷酷なほどに、描きこましてゐる、その点が伊東氏が単なるロマンチストでなく、リアリストである証拠である、美
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