ては、一言も批評ができる性質の作品ではない。見給へ、吉岡の、『馬』に対して世間では何を語り得てゐるか。今年の馬は、去年の馬よりも良いとか悪いとかといつた単純な批評では批評でも何でもない。馬喰的言辞といふべきだ。少くとも吉岡の作品の場合には、この作家の心理的な創作以前の問題に一通りの関心を示してからでなければ、できあがつた作品に対しては一言半句も批評的な言葉を吐けない筈である。吉岡の場合は日本画の新しい形式的確立の手段の立て方が、余りにも内省的だといつてもいゝほどに苦渋な方法を採つてゐる。吉岡の『馬』は、吉岡といふ作家が、描く対象物に対して彼は形態の破壊を目的としてゐるのか、或は形態の構成を目的としてゐるのかわからないほどの状態で描いてゐるのである。彼は破壊しようとしてゐるのか、創造しようとしてゐるのか? どつちであるかといふ疑をもつしかしとにかくそこには一つの作品が生みだされ現出してゐる。その作品の世界は非常に抽象的な不可思議な雰囲気をもつた、吉岡独特な世界を生みだしてゐる。物体を殆んど無視して描いてゐるのかと思へば、さうではなく立派に実在性を捉へてゐる。吉岡はそして物の影とも、光りと
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