作家が多い、殊に洋画家にはそれが多いやうである、それは狭量といふものである。世間でよく「文学的な絵だ」といふが、厳密な意味では、そんな言葉がある筈がない。絵画はあくまで絵画で、事実「文学の方法」では一本の線も引けないわけだ、文学的ではない「思索的」だといふことをすぐ「文学的」だといふ風に批難してしまふからよくない、筆者は奥田元宋氏に大いに今後所謂「文学的――」と呼ばれていゝ作品を描いてほしいといふ意味で声援をしたが、仕事ぶりの粘着力と感覚的には感能的なところは、彼の大きな特長であろう、仕事に対する喰ひ下り方はまことに良いのである。一見童顔稚気充満してゐるが、その底には冷笑家らしい皮肉な処もあつて不屈な精神がみなぎつてゐる、彼が若冠にして「日高川」や「盲女と花」などの佳作を産み出したことは、若いが自己に対しての手きびしい厳格さが産みだしたものであつて決して偶然なものではないやうだ。
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新日本画の名コンビ 福田と吉岡
――『松』と『馬』に就いて――
第二回新美術人協会展の福田豊四郎氏の『松』は従来の日本画の様式に対して新しい
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