、言はゞ若冠である、何もかにもこれからだといふ感じがする。
 愉快なことに奥田氏は、主家である児玉希望氏の処から置手紙をして家出したことがある「文学をやりたくなつた」のであつた。
 だが再び絵の路へ戻つてきた、かうした内部的な苦悶を児玉希望氏はちやんと知つてゐて、「奥田は文学をやるなどと、道草を喰つたといふことは、今日の彼に大きな手助けとなつたのだ――」とよき理解を示してゐる、全く希望氏の言はれるやうに、今後の日本画壇は従来のやうな型ではいかない、文学との接触や、その理解はどうしても日本画家として必要である、文学好きの奥田元宋が、第二回文展で「盲女と花」で特選をとつたことはまた理由のないことではない、洋画壇では二科の島崎鶏二氏、日本画壇では奥田元宋氏はある共通なものがある、この二人は文学の臭味のない、文学的な絵画の出来る人である。
「盲女と花」のあの感[#「感」に「ママ」の注記]能性と、新しい意味での妖怪味とも言ふべき、心理的雰囲気を画面につくり出し得たといふことは、誰れでも出来る術ではないやうだ、絵画は造型美術であるからといふ理由で、テーマの上で文学と連結することを極度に軽蔑してゐる
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