作品に通俗性が加はつてくるといふことが芸術品に却つて多い、私はそのことが堪へられないことだと考へる。若い年代には何かしら新しさを求めるといふ欲望が動くそのことは賛成だが、描かれたものの真実性は即ち(新しさ)でそれ以外ではない。『真実を描く』といふ一本槍は何々主義などといふ絵画の主張を超えて、独自な新しさを表現することにならう。ヨーロッパ的なものに飛つくこともよいがその前に東洋的なものの過去の遺産の摂取に若い画家こそ大いに勉強していゝのではないかと思ふ。
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二科展所感
   坂本繁二郎小論


○島崎鶏二[#「島崎鶏二」に傍点]氏――この人の作品に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵性があるとか、文学的であるとかいふ非難を折々耳にするが、その批評は当つてゐない、絵画に於ける文学性などといふ理論は成立しないのである、画家仲間でさういふだけである、その非難の後に密着するものは、曰く造型的な力量が欠けてゐると、――主題が一つの暗示性をともなふと往々文学的であると一口に非難してしまふが、この種の作品に対して
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