山の美意識としての色彩の性質はかなり美の一般性からは孤立的なものではあるが、一つの特殊性をもつてゐるといふ事ができる。
旺玄社の作品は総じて審査の上に、個々の作家の個性尊重の立場にある。それは良いことである。
光風会はすこぶる大作主義でまた一面に労作主義であるがこの光風会の大作、労作は、案外稀薄なものがあり、手堅さの点では旺玄社の画家の方がずつと真剣さがある、ことに光風会の陳列方法ときては、三段掛けで余りに無神経さを暴露してゐる、配列のルーズさは街頭の掛軸売でももつと光風会の陳列よりは神経を使つてゐるだらう。発表の自由は結構であるがあれでは困りものといへるだらう。
旺玄社評では、上野山、岩井の二作家を二人の問題作家として採りあげたから、こゝでは余り顔ぶれを挙げない。
甲斐仁代――色感も美しいし線も婦人にしては奔放なものがある。然し扱ひ方は決して新しいとはいへない。直感するところは『女の辛さは男の甘さにさへ負ける――』といふ感想が湧いた、もつと判り易くいへば、女は相当手固い突込み方をしてゐても、矢張りどこか男の画家にひけ目なものがあるといふ感である。たゞ甲斐仁代の色感に就いての理
前へ
次へ
全419ページ中259ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング