いと決めてはならない。一尾の魚の物質感を、あくまで色彩の諧調で表現していかうといふ色彩家らしい追求の仕方はかなり独自的なものがある。ゴッホの色の理解と全く相反したものが彼にある。夜さへ尚太陽的な昼のゴッホに対して、昼さへ尚月光的な夜や薄暮のやうに描くのは上野山である。彼の魚には光線の直接的な物体への吸収といふものはない。光の中心点といふものはない。だがそのかはりに月光的な、月の反射的な光りの特別な環境をつくりあげてゐる。
微細な神経のふるへ、往々人が見遁すところの、たゞ一色のものを、彼はその一色を上から或は下から一枚々々はぎとつて、その一色を百色にも千色にも段階的に表現しようと彼は努力する、
物体の外面的結合としての単色を彼は憎んでゐる。だから彼は色の単一化とたたかひ、複雑化さうとする、上野山の絵の色に人々は特別な不快感を味ふらしい。だがそのことだけで上野山の色は『醜い』と早計に決めてはならない、『美しい色とは何か?』といふ疑問はまだまだ画家や見るものに残されてゐて良いからである。
帝展系の色の美しさと、独立系の色の美しさとは益々今後対立的なものになつてゆくだらう、そのやうに上野
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