ければいけないと思ふ。言葉をかへて言へば真白の色から真黒の色に移るまでには、幾多の数かぎりない段階、階程、過程とかいふものがあるわけだ。それを心理的に見ようとせず逃げてはいけないといふ意味である。この冬日にはその努力がなされてゐるので絵は余り好きではないが、良い努力だと考へた。

    片多徳郎遺作展

 春台展での片多徳郎遺作展は僕を感動させた。殊に少女を描いた白い『裸婦』に就いては、私のやうな若輩の批評を絶対にゆるさないものがあるから、一言もいはない。ただ一言多くの画家諸君に進言したいことは、画家といへば助平の代名詞のやうに世間では考へてゐる折柄、婦人に就いてあゝした崇高な理解をもち得る人は何人あるだらうかといふことである。片多徳郎の、白い『裸婦』の前で婦人即性慾を見てゐる多くの助平画家は頭を垂れたらいゝ。それからもう一言、春台展では片多徳郎、丹野次男、平田千秋の三人遺作展をやつてゐるが、それも非常に良いことである。だが一般の画壇にのぞむことは、なるべく才能のある画家は生きてゐる間に団体として好意をみせるのがほんとうで、本人にしても死んで花実が咲くものかであるし、死んでから、急に
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