る。ただこの絵の動きに野心的なものがあつて好ましい。
 靉光……といふ人の小品『裸婦』『馬』『人物』など何か錦絵風な筆法や『馬』では古来の『絵馬』を思はせる。ただこの人は線の稚拙さといふことに甘えすぎていけない。技術をもつてゐる人であるから、強ひて稚拙に描く必要がない。アンリー・ルッソーの稚拙さは、決して稚拙さを売り物にしてゐない切実さがあつて良いので文字の世界では、ノイリップといふ小説家があつて、ルッソー的素朴さに共通するものがあるが、技法の稚拙といふことは、たとへそれを方便とするとしても良くない児童画をよく画家が参考にしよく子供の技法をとり入れてゐる人があるが、大人のくせに、子供より下手に書く必要が少しもないだらう。靉光の場合のこの稚拙さは、主として作者の心理的なものからきてゐるが、心理的なものつまり世界観の問題としても、かなり意義がある。第一作者は若い人である筈だ、年齢的若さの究極的な発揮、この一本槍で押していつたら、年をとれば完成されるといふことになるのではあるまいか。この作者は心理的世界に於いて老いこみたがるのは良くない。『裸婦』の方がずつと屈托のない自由な作意が見えて良いし
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