祐は斯う言つてゐた。彼はこゝでは画家、彫刻家の仕事の『非連続性』を責めて、一年に一度や二度の展覧会出品に、出品する作品にこと欠くやうな者は、平常の不勉強ぶりを覗ひ知ることが出来るといふ意味のことを述べてゐた。この藤井浩祐の言葉は、善意に解釈すべき言葉である。こゝでは藤井は芸術家たるものゝ、製作慾の激しさを要求してゐるのであつて、展覧会を目標としてのみ、青春を朽ちさせてゆく画家の少くない今日、この恐怖すべき現象に対して、画家たるものが相当自己反省して良いであらう。
私は徒に展覧会軽蔑論者ではない。然し現在の日本の展覧会(主として官設のそれ)が如何なる社会的意義と立場をもつてゐるかといふことに想ひ到る画家は、自分の仕事が可愛いければ可愛い程、この種の展覧会出品の意義に一応の疑ひをもつ必要があらう。
殊に官設展覧会の存在の理由のアイマイさの一つに展覧会が画家の作品の発表機関であるか、奨励機関であるかといふ二つの認識の中間を漂泊してゐるのが現況である、両者一体の方針にあると主催側は主張するのであらう、事実はこの主催側の主張を裏切り、二つのものゝ矛盾を現してゐる。どちらも徹底してゐない。この
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