、花鳥に一応の技術的段階を示してゐるから、本人もそれを自覚してゐるらしい、人物画にすゝむことは良いことである。「荊軻」の試みは、既に試みといふよりも完璧的なものがある、この突然の人物画への方向転換は人々を少なからず驚ろかした、それは希望も人物を描くといふ驚ろきではない、今はやりの言葉で形容すれば実によく「企画」のたてられた絵なのである。構成のよさ、この絵を描くための希望氏の心理的準備期間に、希望氏自身の心理的発展、画境の開拓を思はしめるものがあつた。私はこの「荊軻」をみて、はからずもこゝに児玉希望氏の芸術観、言ひ換へれば人生の見方、ともいふべきものを、その図柄の上で発見し、私を少なからず動かすものがあつた、この絵のテーマとして、暗殺者と被暗殺者との対照は難かしい仕事であるにちがひない。常識的に解すれば殺しに行く方を、顔、表情、其他をするどく描かるべきである、私はふと暗殺者の武器を握つた手に触れたとき、その手がふつくらと肉付きがよく、豊かに描かれてゐるのを発見して、これなるかなと嘆賞した。
 ここに希望氏の対象に対する愛情があるので、殺しに行く人間の手をゆたかに表現したといふことは、単純
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