いゝ、精神力も肉体力もしきりに出し惜しみをしてゐる日本画家が多い折柄芋銭のやうな人生度胸があつて始めて「人間としての画家」といへるのであるまいか、興味ふかいのは今後の小杉放庵そのものの「人間味の出し方」である。「人間放庵」といふ形容はよく耳にするところである。しかし何が故の人間放庵であるかといふことを説かない、放庵といふ一人物は、それが如何なる形に於いて人間的であるかといふことを、我々はお世辞抜きにして考へてみたいのである。
 その日常生活に於いて放庵は、まことに人間的であるのか、或は画風の上に人間味があらはれてゐるのか、その何れであるかといふことを分明にしてゐない。芋銭が人間的であるといふことに就いて、彼の日常生活の逸話風なものや、ゴシップ風なものはよく聞くことである、しかしそれは浅い興味をひいても、深い興味をひくことはない。その日常生活に問題があるのではない。芋銭の作品そのものに問題があるのである。いま放庵を論じ放庵の人間味を論ずる場合には私は日常生活を少しも知らないから、そこから放庵人間論の材料を求めるわけにはいかない。矢張り過去、現在の放庵の作品から、それを求める以外に方法はな
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