する態の猿であつた。関雪の猿と較べると、全くちがふものがある。関雪の猿の顔はまるでインテリゲンチャのやうに聡明な顔をしてゐる、磨きのかゝつた顔をした猿が描かれてゐる。華楊の猿は決してさうした近代的聡明な猿ではなく、何かの拍子に奇声を発して、歯を剥きだすといつた行儀の悪い猿なのである。さうした野の猿や、可憐な鹿を描いたことに依つて彼は世間的には動物画家のレッテルが附けられてゐるのである。しかしこゝで華楊はその描くところの猿を、関雪風に、磨きのかゝつたインテリゲンチャのやうな猿を描くことができないかどうか、さうしたことの不可能なほどに、作者華楊自身が野趣的であるかどうか、前にも「洋犬画」の個所で述べてあるやうに、華楊は結構ハイカラな猿も描くことができるのである。では何故に彼はさうした風に描かないか、そのことは作者自身の考へ方であつて、第三者の我々の立ち入つてとやかくいふべきではない。ただこゝに「白雉図」があり、「素秋」があるといふことを発見して、華楊の人知れぬ勉強ぶりをこれらの作品から求めることができ、華楊再認識の手懸りともなるのである。「葉桜」や「畑」の徹底的写実の方法とは別に、そこには
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