華楊の作とは、斯うした田舎臭いものと、都会臭いものとの他に、もう一つ問題にしていゝ立場のものがある。
 それは既に過去の仕事に属してゐるかしれない。しかしこの第三の種類のものによつて、華楊の第三の立場を知る必要があるから、それを見遁すわけにはいかない。それは「畑」のやうな種類のものであり、「葉桜」のやうな種類のものである。この種の作品は全く、「猿」や「鹿」とは違つた、画面に少しも空間を残しておくことを避けたところの徹底的な綿密描写である。華楊の精神の打ちこみ加減を知るには前述の「葉桜」や「畑」などは最も早わかりなのである。「鹿」や「猿」のやうな簡略描写の佳さとはちがつた迫力をこれらの作品に発見できる。この二作だけをとりあげても、華楊には過去に於いて充分に描きこんだ時代があつたといふことを観賞者は忘れてはならない。小品物に現はれた、或は動物画に現はれた華楊は、決して華楊の本質ではない。昭和三年の「猿」は評判作であつた。猿を描いて成功したものには、関雪とこの華楊のものがあるといはれたほどであつた。この猿の親子は如何にも野趣に富んだものであつて、すぐに尻に手をやつて掻いたり、叫び出したり
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