花などは、少しうるさ過ぎはしないかと思ふ」(石井柏亭)といつた二種類の分裂的批評が、絶えず石崎氏には、これまで加へられてきてゐるのである。石崎氏が写意を主とした部分に、うるさがられて、「唐黍の葉がやゝ多過ぎ」といはれ、表現の単純化、とそれに伴ふ芸術的誇張に対しては、「唐黍の葉がやゝ多過ぎ、其出方にもわざとらしさがあつて気掛りとなる」と評されてゐる。徹底的写意と、抽象的表現、この石崎氏の二つの方法は何時も、一つの画面の中で、二組の対立した観賞者があつて、一方は装飾化を嫌つて写実的手段をより認め一方は装飾単化された作風を認めてゐるのである。
石崎光瑤氏は、その画壇的出発点から、数奇な運命を辿つてゐるといへるであらう。その画風の微妙な推移をみるときはそれは将に数奇な運命といつてもいゝであらう。光瑤氏が「熱国妍春」を、印度土産として、出品したときは、その画面に加へた圧力の圧倒的なものは、人々に驚異の眼をみはらし、この一作が殆んど決定的に石崎氏の力量を証明したものとなつた。殊にその精力的態度と、極度の絢爛美は他の追従をゆるさぬものがあつた。この作発表の三四年後には帝展審査員任命をもつて遇されて
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