しかし神泉といふ作家がさうした神泉フワンの求め方に応ずるかどうか、それは多大に疑問なものがある。
それはフワンの期待の毛皮を生けるが如く描くのではなくて、神泉といふ作家は毛皮を死んだやうに描きたい――といふ欲望をもつた作家であり、その即物象主義といふか、対象の物質性への喰ひ下りの態度は、日本画壇でもかなり強烈な態度をもつた作家なのである。ただ絵の出来上りの静謐さが作者のさうした内部的な欲求を温和に隠してゐるために、その激情性は見えない。作者の客観的態度、つまり作者が外部から自己の慾望へ加へるところの圧力の強さといつた方がわかり易い。自制力の強さの点では神泉といふ作者は珍らしい。そしてさうした圧力が作品の自由性を決して損ねないといふ手段をもつてゐる点、これまた神泉といふ作者は、画壇でも珍らしい。作画上の方法を身につけてゐる作家といふことができよう。
自制力を加へることに拠つて、次第に動きがとれなくなつてゆく作家もあり、又反対に自制力を加へることによつて、自己を拡大してゆく作家もある。また第三の種類の作家に、全く自制力などといふことを考慮に入れず、自己のあるがまゝに振舞つてゆかうとする
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