である。
 大正十五年の第七回で特選となつた「蓮池」はその画風ののつそりとしたそれのやうに、新進としての徳岡神泉氏の出発ぶりは、甚だのつそりとしたものであつた。以来徳岡氏の画の歩行ぶりは、のつそりとしてゐる。然しそれをもつて野暮臭いとは、決して誤つても言へないのである。非常に感の利いたこの「感」をもつと別な文字に当てはめると「癇」の利いた作品なのである。画壇に恵まれないといふ世評は、いまになつては滑稽なお世辞になつてゐるが、たしかにさういふ一時代もあつた。しかし徳岡氏自身画壇から何かを恵まれようといふ考へは毛頭もつたことがないらしい。これまでは全く作品中心主義できたといふことができよう。徳岡氏の画材が蓮とか鯉とか、牡丹とか、菖蒲とかに、とかく固定的であつて、それは現在に至るもさうではあるが、或る神泉フワンの一批評が、内心そのことを非常に気にかけてゐたらしくどういふハズミか徳岡氏が「狸」を描いたとき、その人がかう感想を述べてゐる。『徳岡神泉氏の「狸」は非常に神泉らしさが盛り上つたものであつた。此味でなら静物としての毛皮を描ても定めし佳作を得るであらう――』と、これは決してこゝで落し話を語
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