づけられる。それは鹿を描いて、その表情に人間的なものを打ちこむといふこと、古い形容でいふ『対象に乗り移る――』といふことは、飼育してゐる化物位ではやれる仕事ではない。描く人その人が化けるよりは仕方があるまい。契月氏描くところの武者絵の表情を、較べてみたらいい。何といふ契月氏自身の顔によく似てゐることか、つまり契月氏は武者絵に於いては、自画像を描いてゐるのである。
 そして婦人画に於いては、彼は『永遠の女性』を探し出さうとしてゐるにちがひない。契月氏の武者絵の人物の顔が、作者自身の顔に似てゐて、美人画に於いては、ある共通的な美しさを当てはめてゐるといふことは、然もそのことで決して絵がマンネリズムにも陥らず、作品が決して類型的に堕さしめないといふところに、契月氏の隠れた実力があるのであり、人に知れない謙遜な勉強の仕方もあるのである。
 才能といふものを、出し惜しみや、小出しにするといふケチな方法でなく長い画壇生活の間大切に保つといふことは少しはその才能の用ひ方に工夫といふものも要するではないだらうか。すぐれた才能のひらめきを示しながら、その才能を無惨に短かい期間にすりへらす作家もある大家と
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