であつた。そのために観賞者は、絵をみてゐるよりも、湯に入つた気分にさへ捉はれたのである。
湯槽の中の湯の揺曳を線をもつて現はすには、不正な線、つまり歪めた線を有効に配列しなければならないのであるが、湯や水の揺曳、或は湖水の面や河水の面の揺曳といふものは、これまで日本画家はかなりの数色々の形式で取扱つてきてゐるのである。その効果の出し方は、特にその作家が高い意図計画をもつて描かない限り、水の底や、水面をゆらゆらさせるといふやり方は、甚だ通俗的なやり方でさへあり、通俗的な割りに効果を挙げることに成功する方法なのである。
しかし小倉遊亀氏は何といふ賢こい作家であらう。その後の『浴後』に於いては、前の『浴女』と全くちがつた作画態度をみせてゐる。しかし世間は正直なのである。『浴後』は『浴女』との連作であらうといつた簡単な批評で押しつけようとしたのであるが連作故に批評を避けることはあるまい。また少くとも温泉気分の嫌ひな批評家があると仮定すれば、『浴後』の方の人物達は、着物をもう着てしまつてゐるし、作者である遊亀氏自身その作品で、湯船の上気を拭ひ去つた、冷静さで描いてゐるために、むしろ『浴後』の
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