の事情も解いてみる必要があらう。小倉氏の浴女に対して、当時色々の批評が下されたが、そのうちで横川毅一郎氏の『浴女』評が最も当つてゐたやうである。氏は曰く『会場主義と芸術主義との全き調和の中に作家の芸術的意図が豊かに遂げられてゐた――』といふことは、図星しを指したものであらう。更に氏は『浴女』と同様に前田青邨氏の『大同石仏』が共に、同じやうな効果を挙げてゐるといつてゐる前田氏の作品に触れることは次に譲らう。
 小倉氏の『浴女』は横川氏の評の如く、全くあれ以上に会場主義と芸術主義との全く調和を遂げることが不可能だと思はれるほどに、その意味での完璧性を見せた作品であらう。ジャアナリズムがそれを見落す筈がないのである。小倉氏は『静思』などといふ作品もあつて、婦人が端然と坐つて、右の手を机の上におき、左り手を袖の下にをいた作品があるが、かういふ形態のもつ計画的な良さは、一般に理解されることがなくして通りすぎたのである。いま端然と坐つてゐる女が、衣服を脱いで湯船にひたるとき、横川氏の批評ではその作品は『観者の感覚や情緒を揺り動かし、多くの人々にはこの作品の前で甘美な優れた音楽を聴いた時に、経験する
前へ 次へ
全419ページ中117ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング