程経験者で苦心的である。つまり、描く順序の練達者である。だが、一度『現実の順序が違つたものに』などぶつかると、これらのアカデミックな画法の順序は何の用にもならない。したがつてこれらの古典画家、或ひは若い古典画作り達は、成るべく平穏な非発展的な、順序のよい、己れの描きやすい方法に添つた対象をのみ選んで描く。モヂリアニの物質としての『油絵具』に対する大きな思索は並々ならぬ深いものがある。
その点をあまり人々は考へてゐないらしい、美といふものは、物質の中に他の超物質的根元が肉化することによる物質の変容であるといふ――定義をいま仮りに正しいとすれば、モヂリアニの調色の方法は『物質』(絵具)に他の『超物質的根元』いまこれを『光り』や『色彩』と見よう。これの混然たる肉化の苦心がとられてゐる。素描家としてのゴッホには、驚くにたりない。然し、色彩家としてのゴッホには驚嘆して良い。それと同様に我々はモヂリアニの小市民的哀愁や、彼のもつ詩味などに共鳴を感ずるよりも、色彩に対する科学的処理の方法を学ばねばならない。彼の作品から感動をうけるもの、それは油絵具といふ物質的制約と物質的基礎に立つてそれを殆んど完
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