と端麗さとを与へ、長い首の描きかた、そこに載つかつてゐる顔はさまざまな顔である。『玄関の子供』の少年の人生苦の顔、『マダム・ヱビュテルヌ』の清浄で性慾的な顔、それは人物の右頬から顎に至る線で完全に表現されてゐる。その頬の肉線はカッチリと充実して皮膚の下にうごめいてゐる。顔と首の表現の誇張感はモヂリアニ一流の人物の手を交叉させることに依つて、完全に画面を調和させてゐる『シュミーズの女』の表情の淫蕩性、『若き娘』の疲れたる愛慾の闘士といつた表情、この絵の胸のあたりのタッチの狂熱性は極度にモヂリアニの熱情を知ることができる。たまたま、このタッチの狂熱性が沈潜して内部的な情熱となつて『裸婦』に現れるとき、豊淳な性や、重厚な性に悩む女を描く。殊にをどろくことはモヂリアニの描く肉体(物質)と光りとの接触、光りの交換である。
 こゝでは彼の企てた『硝子のやうな透明感』また、東洋の七宝のやうな光りのけんらんたるアラベスクを現出してゐる。光りと物質との区分の機械論者の多いアカデミーな画家達にとつては、油絵具といふ一物質に就いて『思索』したことなどは恐らくあるまい。アカデミーの画家は油絵具の処理の仕方は成
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