気を感得することだけで満足してゐて、どうしてこの作家が、さうした清新さをもちつづけることができるかといふことなどには触れない、それは無理もないことである。一般観賞者にとどまらない、美術批評家なるもので、福田氏の仕事に対しての正統な批評を誰かしてゐるだらうか、さうした材料を自分は求めたか、つまりは平八郎式だとか、清新だとか、なかには現在我国の日本画壇に於いての唯一のモダニズム作家は福田平八郎氏であるとかいふ、一言でいへばお座なりな、浅薄な批評が多いのである、ただ何となく福田平八郎の絵は佳いのである。福田氏は鯉の研究者としても大したものだといふ、鯉といふ魚類の生物学的研究者であるか、或は観察者としての研究者であるかその点は語らない。ただ鯉を巧みに描くといふ事実が起きて、次いで起つてきた世間の噂なのである、もし作者にして鯉を巧みに描き得なかつたら、鯉の研究者でないわけである。『漣』といふ作品がある、この作品は一言で言へば奇怪な作品なのである。この作品の制作動機、手段方法は、一つの謎としてのこされていゝだらう。この作品だけを見ながら考へるときは福田氏は鯉を描く場合の魚類学の大家であると共に、この『漣』を描くことに於いて物理学的立場からみた波紋の研究者としても、大家のやうに思へるのである。この『漣』は全く科学的な根拠と一致してゐるといふことは、福田氏が科学人であるか、或は観察者としての徹底的態度が、偶然にもこの作品を産み出したのであるか、その何れであるか、その解明も興味ふかいものがある。科学的であればそれは近代的であるわけである、したがつて福田平八郎氏を我国唯一のモダニズム作者であるといふことができる、しかしさうでなく科学的根拠に特に立つて描いてゐるわけでなく、観察を以て方法として、それが偶然科学性と一致したといふ場合は、モダニズム作家と呼ぶわけにはいかないのである、福田平八郎氏と、吉岡堅二氏と何れがモダニズム作家であるかといふことを考へてみたら、こゝでもまた問題が起きるわけ。[#「。」に「ママ」の注記]福田氏の文展二回の『青柿』には作品に怖るべき質的昂揚があるのである、しかも吉岡氏の作品にも、同系列の質的昂揚のある作品が少くないことも注意すべきである。
 科学者の認識と、芸術家の観察とが一致するといふことはあり得るのであつて、それをもつて奇とするにはあたらないが、その芸術家の観察がどのやうな計画性をもつて行はれたかといふことは問題とされねばならない、つまり観察が充分な計画性の下に行はれる場合には、そこに正しい科学的手段といふべきものが生れてくる。
 福田氏の『漣』はあの波紋を、単に直感といふ観察の下に描かれたものであるかどうか、さうではなくもつと充分な科学的な計画の下に描かれたものであるかどうかといふ、この点が作者の所有する制作技術の内容を吟味する唯一の鍵なのである。鏑木清方氏が福田氏の『漣』を当時批評して『ちよつと見ると単純な仕事のやうにも見える群青の波の一つ一つの形態の心づかひ単にそれだけで見て行つても倦きる時がない[#「』」の脱落はママ]、この批評が語るやうに、この波を描いた作者の心の配り、心づかひ、といつたものは、その一線一線に現はれてゐて、それだけをみて行つても倦きないといふことはよくあたつてゐる、前田荻邨氏の波も優れたものであつて、『潮』は特選作である。いかにも生々と波は描かれてゐるが、前田氏の波に対する観察の高度な頂点は感じられるけれども、その観察に科学的認識の導入といふものが感じられない、福田氏の『漣』では、波の線はもつとぶつ切つたやうな、切れ切れの線の配列にすぎないが、実感的には波を感じさせる、高木保之助氏の『早瀬の波』といふ作品があるが、これもすぐれたもので、波に対する新しい解釈が加はつたものであるが、それでも矢張り人間の解釈といふものが、画面にぶらついてゐてぴつたりと波の実感に即しない、福田氏の漣は、その点ではその制作方法を第二段の問題としても、作者が自己の立場を、自然の対象物へ全く身を投じたといふ対象との密着性がある、農学博士の内田清之助氏が昭和八年一月号の『塔影』に花鳥画と鳥類生態写真と題して色々の鳥を語り、写真を掲げてゐるが、その中で波に立つてゐる『シギ』を撮つた写真を掲げ、その写真の漣の部分だけの拡大写真と、福田平八郎氏の作品『漣』とを比較掲載して、内田博士はかう語つてゐる。
『次に出してゐる写真は、此の写真の一部を引延したもので、その次は、御承知の、帝展で評判になつた福田平八郎氏作『漣』です、之で見ても、福田画伯の観察の鋭さには敬服する(中略)よく此の双方を注意して見ますと、漣の一部に統一を破つた、複雑な線の現れてゐる所が見られますが、絵にも写真にもやはり全く同様に現れてゐます、無論漣は物理的現象ですか
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