作家には、無理なく考へられることなのである。しかし放庵の場合はそれを感じない、つまり洋画の芸術手段が嫌になつて、日本画へ転じた人とはどうしても感じられない。その点が評者としての私の疑問点なのである。何故放庵が洋画を不満としなかつたかといふことを言へるかは、現在の日本画の仕事ぶりを見ればはつきりとする。放庵位、仕事を楽しみ、悦楽の境地においてゐる日本画家がゐるであらうか、芋銭はその楽しみ、悦楽を果して一生を終つた人であるが、放庵に於いても、仕事を楽しむといふ境地は、芋銭と等しいものがある。芋銭は自己の理想境を、絵を描くといふことの中に没頭する、強い理想主義者としての現実的な迫真力の強さをもつてゐた。放庵は曾つて未醒時代の写実的追求によつて、その理想境を一応追求したのであつたに違ひない。何故ならその描いてゐるところの洋画は何れも強い現実的な描写を以て杣夫とか漁師とかいふ人間的環境を驚ろくべき的確さをもつて描いてゐるからである。洋画に於ける理想はそこで一応果たされた。それは現実的写実的物質的手段の徹底的追求によつて完成されたからである。
 彼未醒が洋画家として第二次的な芸術的悩みに陥るとすれば、それは手段、方法に対する悩みでなく画題に対する新しい悩みが登場して来なければならなかつたのである。然しこの未醒の第二次的な悩みが襲来したとき、未醒は、その「題材の喪失」といふ一事件にぶつかつたのであらう。道筋は当然さうあるべきだ、杣夫や、農夫や漁師から、突然極度に美しい鳥類や、松の木や、蔬菜類などを描かうといふ精神的移行は、洋画といふ現実的な材料と袂別の始まりであつたのである。生活に痛んだ漁師の人間らしい顔を描き、その漁師の悠つたりとした心の寛容さを描くのに用ひた油絵具は、こゝでは、斯うした材料を描かないといふ心の規則によつてまたこの「題材の喪失」によつて捨て去られたのである。そして全く日本画題材へ精神が傾注したときに日本画材料を手にした放庵といふ生れ替りが立つてゐたとみるべきであらう。
 未醒、放庵の転移の瞬間に就いては、かなりに強烈な意図の下に行はれたやうに思へる、いまこゝに放庵の人間味を論じ、論じ尽し得ない人々があるといふことは、それは放庵の心内の状態の吟味と彼の日本画の仕事の性質の検討が不足だからだと思はれるのである。
「胡馬」といふ作品がある。この作品は人間味のある作品であらうか、この作品は非常に作者の心理の複雑なものをこの作から感得できるのである。読者はこの「胡馬」の描かれた状態に注意をされて欲しい。殊にこの馬の前脚に何か不思議な感得をすることがないであらうか、私はこんな幻想的な批評をこの場合ゆるして貰ひたい。それは小杉放庵といふ作者は、小杉未醒といふ作者をこの「胡馬」の前脚の処に封じ込んでしまつたのだと考へる、私はそれほどに、この馬の前脚に人間が立つてゐるやうな、擬人的なものを感じられるのである。この作品は、決して張り子の馬のやうな現実遊離の馬ではない。しかし歌舞伎の縫ひぐるみの馬のやうに、確か前脚には、一人の人間が縫ひこまれてあるやうに思へてならない。しかもそれは放庵は未醒をこゝに封じこんだといふ幻術的な異様な感覚をそこからうけとる。馬の頭部は何事かを思索してゐる。それが何であるかはわからない、再びこゝで問題をすゝめて、それでは日本画家としての放庵の人間味はこの「胡馬」的なものに求めたらいゝであらうか、それは全く見当が違ふのである。それは花鳥を極度に美しく描いた作品にそれを求めなければならないのである。その現実離れのした美しさは、その現実離脱の距離の長いほどに、放庵の人間的慾望は果たされてゐるといふことに、観るものは気附かなければならない。放庵は未醒時代から、今に至るも私は理想主義者であると思ふ。芋銭が神仙境を描いたといふことは、さうしたことを好んで描いたといふことはどういふ理由に基づくであらうか。それは芋銭が自己の理想の顕現をそこに果たしたことになり、芋銭の人間味はそこに発見されるのである。放庵の人間味は、あの孔雀或はその他の花鳥類の細微の華麗さの中に彼の神仙境があるのである。石上人や樹下の仙人達に、真の放庵の楽しみは、放庵の理想境は、放庵の神仙境があるのではない。実は大根や人参や、アケビやザクロの転がつてゐるところに仙境があるのであつて、彼の人間味があるのである。彼の絵は華美の極点を衝くほどの人間味が、ぐんぐん出て来る筈である。その点既に仕事の境地は石崎光瑤と似てゐる。光瑤の花は見てその気持が悪くなるほどに美しく描かれてある作品ほどにこの作者の恐るべき人間的境地があるのである。放庵または[#「または」はママ]その境地に入つてゐると思はれ、また是非さう方向づけてすゝむべきであらうといふ結論にも達する。何故なら写実的な現実的な
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