た作品を見せてもらふことができる。然も数多く、そのことは観賞者の一つの幸福といはねばならない。「本朝道釈」の中の一人物に芋銭を加へてゐるのなどは、如何にも放庵の理解の面白さがでゝゐる。私が日本画家であつたら、「新本朝道釈」を描いて、芋銭の次に放庵を描くであらう。放庵そのものも確かにさうした人物の一人に加へても差支へはなからうし、またさうした人物と共通した「人生の味」を体験してゐるといへよう、芋銭の作品もこれはまた人生を呼吸ぬき、肩ぬき、肩透かし、うつちやりの連続で生き抜いたといふ感を抱かせる。彼の作品の妙味や値打は、その作品一つ一つに就いても言ふことができるがその作品の数多いといふ事も値打である。放庵は芋銭のやうにはいかないだらう。芋銭は自分の尻の穴まで解放した。野放図な人生の渡り方をした。画きなぐつたやうな作品が多いが、このなぐり画きに生命感が横溢してゐるから妙である。作品の数が多く、その数の多いといふことが少しもその作家の価値を下げないといふ境地に、何等かの形で到達してゐたわけである。しみつたれに一枚の絵に筆を加へて、そして出来上つた作品が大したものでもないといふ場合のことを考へていゝ、精神力も肉体力もしきりに出し惜しみをしてゐる日本画家が多い折柄芋銭のやうな人生度胸があつて始めて「人間としての画家」といへるのであるまいか、興味ふかいのは今後の小杉放庵そのものの「人間味の出し方」である。「人間放庵」といふ形容はよく耳にするところである。しかし何が故の人間放庵であるかといふことを説かない、放庵といふ一人物は、それが如何なる形に於いて人間的であるかといふことを、我々はお世辞抜きにして考へてみたいのである。
その日常生活に於いて放庵は、まことに人間的であるのか、或は画風の上に人間味があらはれてゐるのか、その何れであるかといふことを分明にしてゐない。芋銭が人間的であるといふことに就いて、彼の日常生活の逸話風なものや、ゴシップ風なものはよく聞くことである、しかしそれは浅い興味をひいても、深い興味をひくことはない。その日常生活に問題があるのではない。芋銭の作品そのものに問題があるのである。いま放庵を論じ放庵の人間味を論ずる場合には私は日常生活を少しも知らないから、そこから放庵人間論の材料を求めるわけにはいかない。矢張り過去、現在の放庵の作品から、それを求める以外に方法はない、私は放庵の人間味を求めるとき、いま一人の人物を想ひ出さずにはをかない。それは小杉未醒といふ人物である。この人物の油絵は「杣」といふ作品にせよ「水郷」といふ作品にせよ、百パーセントに人間らしさが現はれてゐるのである。テーマを杣夫とか漁師とかに取材するといふ庶民性は、作家の態度として非常に正しい高いものであり、その写実主義的方法は現在に於いても立派に通用する方法であり、また見渡したところ、未醒ほどの写実力をもつた作家は現在の洋画壇には見当らないと思へるほどである。洋画壇でも何々主義、何々派といふ流派的な変遷があつてその意味では、未醒はこれらの新しがり屋共と現在まで行を共にすることは不可能であらう。然し庶民間テーマに基いた写実主義で、もし未醒が現在まで押し切つてゐたとしたら、洋画壇に在つての一権威として存在するであらう。一つの実体から、二つの影像が浮き出したやうに、小杉未醒といふ人物の中から小杉放庵といふ人物が現はれたのであるか、或は小杉未醒といふ人物の中から小杉放庵といふ人物が生れだしてきたのであるか、そしてその途端に小杉未醒といふ人物が消滅してしまつたのであるか、或は現在に於いても未醒と放庵といふ二人の人物が存在するのであるか、私はそのことを興味ふかく考へてみたいのである。
洋画を追求した未醒は、日本画に転じて放庵と改名した。これは二人の人物ではなくて、一人の人物のことである。曾つては未醒と呼んだこともあるといつた。一般的な理解はそれは一般的な理解で納得する人にだけまかしてをけばいゝのである。私は未醒の洋画から放庵の日本画への移行といふものを、もつと追求して考へてみたいのである。もしこんなことができるのであつたら、小杉未醒といふ洋画家にいままで洋画を追求させてこさせたかつたし、また小杉放庵といふ日本画家にも、日本画の追求をつづけてこさせたかつたといふ、殆んど不可能な慾張りな希望をもつてゐるのである。その希望は殆んど夢想的なもので、また夢幻的な不可能な希ひである。しかし幸ひにして、後者としての日本画家放庵は、生きつづけてきてゐるし、仕事を連続的にしてきてゐるのである、しかし一方未醒はその実体が時に距たれて、影うすく、また全く存在してゐないのである。
洋画を自個の芸術の手段とすることに、不満を感じて日本画に転じたものであらうかといふ疑ひは、洋画家から日本画に転じた
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