置に立つてゐる。さういふ状態はあまりにも惨めなものがある。徳岡氏はさういふ政治的計画は絵の上には加へられてゐないやうだ。画壇の一党派を引具したところで、広い世間からみたら、単なる画家の一団体にすぎない。それが絵の仕事を放りなげて、政治的工作をしたところで、高が知れてゐるのである。もし徳岡神泉氏が、さうした画壇政治的野心があるものと、こゝに仮定したならば、『それはお止しなさい』と止めたいところであるし、さうした政治的工作よりも、蓮や菖蒲の一枚の葉の真実を描くことの、如何に仕事が大きいかといふことを、神泉氏のために奨めたいのである。世間では神泉氏に対して一種の大器晩成主義とみてゐる、その出来上つた作品は賞める。それに『将来有望』と附加しなければ気が済まないやうな型だ、何かしら次に出て来なければならない筈だといふ批評的立前から、ものを言つてゐるのである、『神泉氏は恐らく昨今に於ては、一つの転機に立つてゐるのではないかと思はれる』といつた批評がこれまで幾度となく繰り返されてきた。観賞家や批評家といふものはまことに気が短かい。観賞家の気の短かいことはわかるが、批評家はほんとうは作家よりも、気が永い位でなければ嘘なのである。少し許り同じ題材がつづいて描かれると、それを行詰りと見るなどは、神泉氏の場合に当てはめても当らないこと甚しい。神泉氏が狸を描くと、すぐ毛皮を描いてくれと注文するやうなものだ。少し仕事の渋さが連続すると、転機だ転機だと言はれるのである。神泉氏はさうした意味の、騒がれる人徳をもつてゐる。批評の内ではかういふ大胆不敵な評もある。『時には作者自らを動きのとれぬ苦悶の境地に縛りつける。しかし所詮真の芸術が一つの業苦であるならば悩みのまゝに押し切るより外に術はない――』と神泉氏に向つて言つてのける。しかもそれが女流批評家の言葉であつて、かういふ批評を戴いては神泉氏たるもの、左様貴女のおつしやる通りですと肯定せざるを得ないであらう。かういふお嬢さん批評家にかゝつては作家も適はないであらう。この批評家は、神泉氏が何か病気にかゝつてゐるかのやうに錯覚を起してゐるのである。何故なら彼女は、芸術といふものを病気と同じものに考へてゐるらしいからで『所詮真の芸術が一つの業苦であるならば』などといふ形容は、これは『一つの業苦』ではなく『一つの病苦』といふ書き誤りであらう。さうだとすれば、つぎの彼女の言葉『悩みのまゝに押し切るより外に術はない』といふ言葉が意味を為すからである。
 彼女批評家は、まるで同じ年輩の女友達の帽子を批評するのと同じ調子で、日本画家達を批評してゐるのである。単純無類の美術批評壇の現状なのである。神泉氏がその堅実な手法とは、一見相違するやうな形の変つた、形の崩れた試みをすると、一批評家はすぐかういふのである。『氏はフォービズムの洗礼を受けてゐると見なければならない――』と、フォービズムなどといふ言葉は、洋画壇では通用はするものの、日本画の傾向に対しては、どのやうな角度からも適用できない言葉なのである。日本画は少くとも洋画とはその育ちに於いて違ふといふことを無視して、野獣派だとか立体派だとか、印象派だとかいふ洋画傾向の上の言葉を、いとも簡単に押しつける批評家の太さは驚ろくべきものがある。
 神泉氏が何時フォービズムの洗礼を受けたか知らないが、かうした洋画批評を押しつけることの好きな批評家に対して、私も洋画批評風にかう言つて『徳岡神泉氏は、君のいふフォービズムの影響からは卒業してゐる。昨年文展の「菖蒲」を見給へ、セザンヌの境地に到つてゐる――』と、ひやかしてやりたい。また或る批評家は正直にかう告白してゐる『神泉が色調でセピア風なものを好む心理がわからない、また日本画壇ではその点珍らしい作家だ――』と、他の画家が、青だ赤だ藍だと騒いでゐるときに、神泉は茶つぽい色を好んで使用する気が知れないといふのである。それはもつともな疑問でなければならない。しかし飜つて考へてみるときは、至つてこの問題の謎は容易に解ける。茶とか黒とかは現実主義者が好んで使用する色なのである。殊に「茶」といはれ、また「セピア風」と呼ばれる色調「自然主義的な色調」なのである、こゝでいふ自然主義とは××主義とか××流派とか呼ばれる意味での「自然主義的」といふ意味ではない。こゝで誤解を避けるために言ひ方を変へてみれば「自然科学的」といつた方がわかり易く、また当つてゐるであらう、神泉の色調がたまたま彼が現実主義者であつたために、「自然科学」的な色調を選んだといふことは、至つて自然な選び方だと言へるだらう。茶にせよ、青にせよ、神泉の色の選択、色の重ね方は、自然への復帰といふ第一の方法が採用されて後、表現といふものにとりかゝるのである。表面的には絵が冷酷で、神経質で、冷たい形を
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