とりながら、観るものをして、神泉の絵からは何か滲みだしてくるもの、何か温かいもの何か、何かといろいろの感動を与へられるのは、実は神泉氏がさうした制作過程をとり、さうした効果を作品の段階の中に附与してあるからなのである。
 神泉氏に対する一般的期待は、作者自身の期待ではなくて、どうやら世間自身の気休めらしい、神泉氏が今後少しも飛躍らしい飛躍をしないと仮定することが、世間自身が想像することさへ辛いのである。動きのとれない絵を描いてゐる不思議な画家神泉氏の持ち味といふものを少しも理解しようとせずに、何かしら神泉氏に求めて許りゐるのである。或る人は神泉氏を指して、新傾向の指導的立場にある人であると評したが、一応当つてはゐるが正確には指導的な「人」ではない指導的な「絵」を描いてゐる人である。また人に依つては神泉氏が一作毎に人の意表に出ようとしてゐる――と評されてゐるがこれも当つてゐない、それらのものを全然考慮の外に置いて、神泉氏は何時の場合にも問題作を描いてゐるだけなのである。昔の「蓮池」とか「後苑雨後」といつた作風は、すでに神泉氏の運命をその画風の上で規定し、決めてゐたのである。蓮とか菖蒲とか、牡丹とかを、好んで題材にしてゐるといふことは、これは唯一の勉強の方法として、好都合なものであるからにすぎない。人一倍「空間」といふものの探求を好んでゐるこの作者は、これらの題材で良き探求をしてゐるのである。そして画面に加へる「熱量」がその画面を迫力あるものにしてゐるのである。「絵画に於ける空間は其の色調よりも画題によりて寧ろ指示されるものである」といふ言葉はラスキンの言葉であるがこれは作家の制作事情をよく理解した言葉だと思はれる。昨年文展「菖蒲」の空間的に成功してゐたのは、画題の選択の上で、先づ成功してゐたといふことと結びつけることが必要である。しかしこの「菖蒲」に対する一般的感心の仕方の特長は、菖蒲の水に反映した部分なのである。しかし問題の本質は反対の処にある。水から上に出てゐる部分の描写の仕方が問題であつたのである。しかし世間は甘く、そして世間といふものは事物の映像をより愛する。水に映さしたり、少し許り神泉氏が水墨的な滲みを利かしたりするとワイワイ言ふ。しかし神泉の真の作家的歩みの興味ある点は、その足取りがおそろしくスローモウションなところであり、能芸術のやうな動きなのである。それは静かな動作形のなかに最大の熱量を加へるといふやり方なのである。神泉の作品は緩やかさの極致に於て、磨かれ、また情感的なのである。
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石崎光瑤論


 石崎光瑤氏の画的経歴くらゐ、複雑微妙なものはまたとあるまい。こゝで注意して欲しいといふのは私は「画壇経歴」とは言つてゐないので「画的経歴」と言つてゐるといふことである。ながい作家の画生活のうちで、画壇的な動き、またその起き伏しの点では、ずゐぶん複雑な画家も多からう、敵もつくるが、また味方もつくる。そして画壇的位置の進退駈引に精魂をうちこみつゝも、画作をつゞけるといふ画家もあらう。さうした経歴者は、その個人の動きが政治的だといふ意味で、「画壇経歴」といま仮に呼んでおく。
 石崎光瑤氏の場合は、さうした経歴とはちがつたものをもつてゐる。石崎氏はその画風が独特であるかのやうに、その心理的な内部生活も、独特なものがあらうと、観察を下して、それが言ひすぎであらうか、さうは思はないのである。石崎氏の画のあの華麗さは、如何なる心理構成によつて出来あがるものであるかといふことを考へてみるとき、美しさは単化された純粋度をもつて見る人をうつが、作者そのものは決して単純ではない。しかも私は石崎氏の作品の形式が作者に与へるところの、厳粛な苦悩といふものを、充分察することができるのであり、また察することが、至当であると考へる。
 この論を書くに際して、自分は石崎氏の作品をすこし計り見てをけばよかつたのであつたかも知れない。それでも批評の的確が不可能とはいへない、ところが、幸か不幸か、石崎氏の過去の作品をかなりに数多く見たり、経歴を調べたりしてしまつたのである。そしてそのために世にも華麗な画家のために、いくぶん陰気な評論を書かざるを得ない立場になつた。しかし私はそのことを喜んでゐるのである。石崎光瑤といふ画家は、決して華美な、派手な画家ではない――といふこと、これはこゝで語る結論なのである。
 石崎氏の過去の作品「熱国妍春」を始めとして、諸製作全体からうける感じは甚だ鈍重なのである。決して明朗でない許りか、圧迫感をもつてゐるのである。曾つて評判作「野鶴」に就いて、色々の人が批評をしてゐるうちに、この作品の真鶴の組み立ての苦心や、「羽色の調子がよく、重なり合つた後ろに親羽根の調子など自然である」
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