にはとることができない、これまで土牛の仕事が優れてゐながら、その作家の性格、勤[#「勤」に「ママ」の注記]き、運命観さうしたものが理由となつて、その価値の正統な評価がかくされてゐたとすれば、それは画家仲間の互助精神が欠けてゐたのだと言はれてもしかたがないであらう。
なぜ仲間が、土牛をすぐれた作家だと強調することをしなかつたのか、そして奥村土牛といふ作家に院展に「孤猿」といふ性質の作品を描かせておいて平然としてゐたかといふことに疑をもつ、当然世に押しださなければならない作家は、画商の手を藉りるまでもなく、作家同志の協力と愛情に依つて行はれるべきであらう。
画商の情け云々といふ言葉は、私に言はせれば、作家同志が土牛の作品的価値の認め方があまりにをそく、画商の方がしびれをきらして先に土牛を世に送り出した感がある――と観察を下されてもやむを得ないだらう、いま土牛は「神品」であると評され第一人者であると評されても、本人の土牛が果してどれほどそのことを嬉しがつてゐるかといふことは問題である、私の接した限りではあまり本人は嬉しさうな顔もしてゐないのである。
私の理解する限りでは、奥村土牛はこゝで以前にもまして、しぶい顔をしなければならないと思ふしまた前よりもまして遅筆にならなければいけないやうである。依頼画の出来上りは、精々をそい方がいゝ、世間では土牛は遅筆の標本のやうに言はれてゐる、しかし私の観察では、土牛は相当筆が速いと思はれる、画を依頼し、その出来上つたのを手渡すことが遅かつたからといつて、直ちにその作家を遅筆だなどとは言へないのである。
氏と対座してゐるときの印象では、言葉を忘れた病人、「失語症」の人のやうに、沈黙の行をやる、土牛といふ雅号にふさはしく鈍重で動作ものろく、こちらで物を言はなければ千年も黙つてゐさうである。土牛に面会に行つた人は、話のつぎ穂がなくてまづそれで参つてしまふ、極端に慇懃であるといつてもいゝ、或る人が「土牛は卑怯な位、ものを言はない――」といつてゐたが、全くさうした感もないではない。
しかし誰かが土牛の玄関先に立つたとき、二階から降りてくる土牛の動作を観察したものがあるだらうか、二階から降りてくる、また二階へあがつてゆく土牛の動作は、全く動物的だと思はれるほど、すばらしく敏捷そのものなのである。階段を二三段いつぺんに駈け上り、駈けをりる感
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