といふことを指摘してゐるのである。
 これは日本画の本質的な問題であつて、表現の自由にも一つの制約を必要とされるといふ考へ方の正しさがある、そのことが同時に少しの表現の自由をうばふことにはならない、むしろさうしたところに新しい日本画の表現の問題の解決点があるであらう。
 伊東氏の所謂美人画は、その美しいといふ現象的な理由だけで、作者伊東氏をロマンチストと解することはできない、伊東氏が立派なリアリストだといふ証拠に氏の美人画の方法の一つに触れてみよう。伊東氏の美人画は全く美しく甘くそしてロマンではある、それは事実である。しかしそれは作中から美人だけを抽き抜いた場合のことである。しかし画面全体の方法の上では、この作中美人を決して甘やかしてゐない。例へば伊東氏は好んで紅葉と美人とを組み合はせるが、注意してみると、紅葉の形の直線的な鋭いものを、美人の肉体のどこかにかならず接触さして描いてゐるといふことである。紅葉でない場合にも美人の曲線のまとまりに向つて、何かしら直線的なものを、邪険なほど、冷酷なほどに、描きこましてゐる、その点が伊東氏が単なるロマンチストでなく、リアリストである証拠である、美人の曲線的甘さをより徹底させるには、紅葉のやうなトゲトゲとした直線の集りを、接触させるといふことは、最も効果的な方法であらう。
 また伊東氏は、よく時代と風俗画との限界を意識してゐる、伊東氏はジャナリズムが自己を規定したところの「深水好みの美人画」といふものに作者自身が反撥してゐるのである、一個の画面から美人だけを観る者が抽出することに不満足なのである、これまで氏の作品からは人物が論じられたが、その人物を効果づけてゐるところの背後的な自然物、樹木花鳥といふものの出来栄に就いては誰も論ずることをしなかつた、人物に小さく窓の中から顔を出させて大部分自然物であるところの樹と雪を描いた昭和三年の作「雪の夜」は当時傑作といはれたが、昭和四年「秋晴れ」昭和六年「露」「朧」昭和七年「雪の宵」昭和八年「吹雪」などの人物の背後の自然描写の実力を見をとすことができない。殊に昭和八年の「梅雨」の前景の樹木の表現力の大胆不敵な企図は最も実力を発揮されてゐる、伊東氏の将来の仕事は一つにこの自然物と人物との接触と、その強烈な調和、綜合によつて事業が果されるものだといふべきであらう。
 画壇生活の長さの故に伊東深水
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