といふことはあるには違ひないが、その環境なるものは何も固定的なものではないから、重要なのは、物語りめいた、伝記的な回顧録の中からは、今日の伊東深水氏を語るといふ手懸りは既に失つたといつても過言ではあるまい。ただこゝに伊東氏の少年時代の生活を形容する言葉として、「凄惨そのものの苦労をした――」といふ形容だけで足りると思はれる。ただこゝで最初に語らなければならないことは何故に伊東氏が人物画、もつと言ひ方を変へれば「風俗画」を自分の作風に選んだかといふことに関してである、何故氏が山水、花鳥の画家として登場しなかつたかといふことである。日本画壇には考へてみれば風俗画家と呼ばれる画家が至つて少ないのはどういふ原因であらうか、武者絵作者を、風俗画家の範疇に加へるといふことはこの場合差控へたい、歴史画家は厳密な意味では、風俗画家ではないのである。過去のものを考証によつて仕上げるといふこの歴史画家の作画上の方法には、生きた現在的な現実の証明の仕方は加はつてはゐない。その場合、それを描いてゐる人間が、現在の人間であつてもそれは問題とはならない。真個《ほんと》うの意味の風俗画家と呼ばれるべきものは、生きた歴史の証明の仕方を、もつとも身近な現実から出発して企てることであらう、伊東氏が風俗画家を何故に志望したかといふことは、その理由を本人の口から聞いてはゐないが、その理由は判然としてゐる、一人の作家が、いまこゝに山水花鳥と人物との何れを自分の将来の仕事に選んだらいゝかといふ場合に当面した時を想像して見たら判る、非常に人間的な人が、その人間的なる故に、花鳥や山水に愛着を感じて、その方面にすゝむといふ場合もあるだらう。しかしこの場合に、問題をなるべく素朴に、簡単に考へて見れば、人間、人物の好きな人は草花より人間の方を選むのである、
花鳥山水と人物とを較べてみると、残念ながら人間の方がどうやら花鳥山水よりも社会的な存在であるらしい、伊東深水氏が幼少から所謂人間苦労をしてきたといふ事実やその出身地が東京市深川区西森下町に生粋の江戸児として生れたといふことに思ひ到れば、江戸、東京と称されるところが如何に人間なるものの巣に等しい都市であるかといふことと照らし合して、人間の中に生まれ、人間の中に育つたものが、まづ第一に人間理解に於いて、魅惑的であるかといふことは肯けるであらう、同時に伊東氏の経歴がそれ
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