ない、一作毎に加へられてゐる新しい試みは、時には露骨なほどに、その新しい計画を誇張してゐる作品さへ見受けられるのである、世俗的には作風の動揺といふことは、其作家の地位の動揺といふことと同意語であつて郷倉氏の場合は、それに反して作風の動揺を引つ提げて、こゝまでひた押しに押し切つてきたのである、それはむしろ奇蹟的な感じさへ与へる、作者が自分の画風といふものを変へずそれに安定感を与へるといふことは、世俗的には得策なことである、それを敢てせず一作毎に飛躍を求め、必然的に現れてくる作風の変化を怖れないといふ態度は、作家の勇気と呼ばれていゝ性質のものだ。同時に郷倉氏自身が自己の実力といふものを確信して仕事をすゝめてきたからでもあらう、作風の動揺の底に失はぬところの『実力』が郷倉氏の現在を、社会的保証の中にをくやうになつたと解すべきであらう。
 作風を変化させるといふ勉強の方法を求めるといふことは、実力のないものにとつては最も危険なやり方である。西洋ではピカソがカメレオンと悪口を言はれた程、画風を変へてきたが、彼が今日の位置を保つてゐるのは、彼の本質的な実力が、最後的勝利を得たからである、郷倉氏の作風の変化は、ピカソ的変貌の仕方とは勿論ちがふが、日本画家としては珍らしく、作風上の飛躍を、大胆に試みる作家である、しかしこの変貌時代は漸次去つて、十二年の院展『麓の雪』十三年の院展『山の夜』には、作者の心理的安定を、その作品から感ずることができる、郷倉氏は『山の夜』あたりを一転機として、実力発揮の時代に入つたものとみて誤りがなからう、言ひかへればこれまでの郷倉氏は、その自己の実力の出しをしみをしてきた作家といふことも出来るのである、我々の作家にのぞむものは、その野心作である、実力発揮といふことの本質的な言ひ方は、さうした野心作に作家が入つてから用ひられるべきものだらう。
 郷倉氏は、画風の上ではいかにも感情的、感性的な仕事をしてゐるやうに、我々の眼に映ずる、しかし実はその反対のものが、氏の認識手段として多くはたらいてゐるのである、つまり知性的なもの、悟性的なもの、が制作にあたつて重要な働きをしてゐる、郷倉氏が仕事の上で、奔放性を発揮しようとしても、悟性がこれを強く押へてきた、近来それが人柄の上にも、年輩の上にも、成熟期に入つた感がする、今後は何の懸念もなく、感性も悟性もその赴くまゝに自
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