奨励と発表とを兼ね備へてゐるといふ公器としての方針に、少くともその立前から自由主義の方針に基かなければ存在理由が成り立たない。審査員たちは続々と持ちこまれる画家の絵を前にして、それを審査しながら如何なる感情を抱いてゐるであらうか、そのことを想像し、憶測することも興味がある。おそらく審査員達は若い後進の画家の画業追求のはげしさに、心内平穏ならざるものが少くないであらう。そして審査の方針として彼はこれらの作品に心理的には脅やかされながら信念的にはこれを勢ひよく排除し跳ねのけるであらう。この心理と信念とを接続するものは何等画家的な批判性をもつてゐないものが少くないだらう、この審査員の心的動揺は強盗の心理と一脈相通ずるものがある。(それは何等過激な形容でない)心でびくびくしながら信念の強さで他人の品物に手をかける強盗はそれだけでも猶多くの不安を感ずる。二つの物では足りない、更に兇器といふものを手にする。
若し展覧会の審査員で猶審査に必要とするもの強盗の兇器にひつてきするもの『社会的地位』或は『画壇的地位』といつてもよいこの兇器をふりまはし、他人の作品の制作心理にズカ/\踏みこんでくる強盗的審査員が一人でも無かつたら画壇のために幸である。
かゝる展覧会、審査員を目標として年に一二回の展覧会のために精根を尽くすといふことは、おそらく馬鹿々々しいことの限りである。画家の制作上の連続性といふことは相当尊重されてよい、今年の展覧会から、来年の展覧会までの時間的充実が画家として恥ぢるところがなかつたら何をか言はんやである。
個展時代の招来
然し今日の如き全く展覧会が社会的意義を喪失してゐるのに、更に期待を続けてゐる画家があつたとすれば、そのことが既に画家の心理的空白を立証するものである。彼のスケッチブックが真白であると同様に彼の生活もまたまつ白な頁である。画家はまた斯う弁解するであらう、絵かきといふものはさう連続的に絵ができるものではない。思索の時間も女に惚れる時間も、酒をのむ時間も、猥談をする時間もまた意義があり、新しい衝動へ移るには少くとも時間が必要であると、その弁解もよからう。では君は今朝起きて顔を洗つたそして昼となり、夜となつた、そこで君は今日一日から如何に「新しい」と名づけられる創作衝動を画布の上に描くことができたか――いや少し待つてくれ、今日は駄目だつた明
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