さうしたものは、華楊にとつては、唯一の芸術的手段であり、これはまた態度として失つてはならないものであらう。その点こそ、五雲の本質の正しい意味での継承といふことができるであらうし、五雲もまた良きその本質の継承者を山口華楊といふ作家によつて得たことになるであらう。
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小杉放庵論
小杉放庵氏の仕事も、最近では俗に言ふところの「呼吸ぬき」をしてゐるかのやうに思へる、ながい緊張感の間、あひだの休息といふ怠惰の伴つたそれではない。彼は不断に張り切つてはゐるが、それでゐて彼流の呼吸ぬきといふものもあらうといふものである。私のいふのはさういふ意味での呼吸ぬきといつてゐるのである。軍隊の方の用語に、「小休止」といふのがある。行軍の間のほんのちよつとした休息を指さしていふ。この僅かの休息の時間に、兵隊達はそれぞれその最も有効な休息の方法を採る。或る兵士は水を嚥むことに一生懸命になつてゐれば、或る兵士はいきなり靴を脱いで、足を休めてゐる。或る兵士は、いきなり仰向けに寝転がつたと思ふと、もう高いびきである。
兵士がそれぞれ独特の休息法を採るやうに、芸術の戦士としての小杉放庵もまた、時には小休止する。現在がその期間であるかのやうな印象をうける。ただ興味のふかいことは、小杉放庵の呼吸ぬきは、「本朝道釈」のやうな作品を生み、この呼吸ぬき作品がなかなか風味が良いのである。
横山大観にはこの呼吸ぬきで妙味ある作品を描くことはできない。大観は仕事の感情を盛り上げてゆく、今度の陸海軍への報国的制作、海と山とに因んだ二十点などは、さうした感情状態でできあがつた作品である。放庵には感情を盛りあげてゆくといふ時代は、既に終つたかのやうに思へる。感情を盛りあげて制作してゆくが、その頂点において横に逸脱するといふことができる。ただこの逸脱が単なる逸脱に終らないといふことは、その制作を不断に反覆してゆくといふ、非常な精力的な仕事ぶりが値打があるのである、もし放庵にして作品が少なかつた場合には、彼の仕事は作品が多いといふ場合よりも値打が附くであらうか、それは問題なのである。放庵の場合は作品が多いことが、彼の価値の一部といふことができよう。彼は小休止するときも、筆を停めない、そして「本朝道釈」のやうな、呼吸ぬきの、肩の凝らない、それでゐて内容的には非常に凝つ
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