芝居屋は子供を集めに何処かに行つたのだらう、彼は紙芝居の箱の抽き出しから、一円二十銭の金を鷲掴みにした。
 金が入ると彼は身内に勇気が蘇り、曇り日の街を非常な速度で走り抜けた。街端れの屋台にとびこんで、一杯十銭の安ウイスキーを十杯煽つた残りの二十銭で丸パンを買つて、ひよろ/\とした足どりで其処を出た。
 紙袋の中からパンを一つとりだして、アングリと噛みつき鼻声で笑ひ出した。彼の心は幸福なのである。
 宅地を横切る時、意外な敵が現れた。酔つた視線の中の敵とは、彼の足の脹脛《ふくらはぎ》を目がけて土埃りをあげ、頸毛をふくらませて突進してくる一羽の牝鶏であつた。彼はいつぺんに悲しくなり、同時に非常に驚ろいた。全く大胆さを失つて、『あゝ牝鶏が一体どうしよう』と叫び飛び上り、後を見ずに逃げだした。心の中では、牝鶏に追れてゐるといふ自分が何か忍び難いものに感じられた。
 ゆるやかに水が流れてゐる幅の広い河の岸に辿りつき、ボツボツと大粒の雨が水面に斑点となつておちるのを、一つ一つ眺め浅瀬を対岸に渡つた。
 古損木《こそんぼく》になりかけの一本の見上げるやうな高い樫の大木の下までくると彼は猿のやうによ
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