が、年齢が年齢なので、ときどき胴忘れをすることも多かつた、そんな時老人は手にした竹の杖でトントンと地を突いてから、杖の中の薄荷水を、手の平の上におとして、それを額の上に塗つた、すると薄荷水はピリリと額と眼にしみて、この刺激で記憶がよみがへつてきた。
 ある時、村に騒動が起きた、それは村の鶏に羽虫が湧き、羽虫は鶏小屋から、鶏小屋へひろがつて行つた、村長は驚ろいて、百歳老人を迎へに行つた。
『はあ、御老体、大変なことになりまして、羽虫のついた鶏は、ひとまとめにして他の鶏と分けてありますが、なにぶん沢山の数なもので御座いまして始末に困つてをります、これは鶏小屋へ返へしたものでございませうか、ひと思ひに殺して喰べてしまつたものでございませうか』
 すると老人は
『わしが、ひとつ考へてみよう―』
 さういつて一間にとぢこもつて考へこんだ。
 だが鶏の羽虫のことを考へるよりも、年齢のせいで、老人は眠くてたまらないので、コクリ、コクリと居眠りを始めた、老人はあわてゝ杖をとりあげたが、あまり大急ぎで家を出てきたので、杖に薄荷水をつめて来るのを忘れてゐたので、これを額に塗つて、眠気をさますことも、村の歴史のことも、鶏の羽虫の駆除の良い名案も思ひ出すことができなかつた。
 何時まで経つても老人が、いゝ智恵を貸してくれないので、村長はこのまゝでゐては、羽虫が村中の鶏に伝染してしまふので、取敢へず一番羽虫の沢山ついてゐる鶏二十数羽を殺してしまつた。
 そして残りの鶏をもとの鶏小舎に帰して老人のところに行つた。
『いかゞで御座いませう、御老体いゝ智恵がございませうか―』
 ときいてみた、しかし老人はじつと考へこんでゐて答へない、あまり答へないので、眠つてゐるのかと思つて、ゆり動かしてみると老人は死んでゐた。
 それからこの村では、薄荷水を額につけなければいゝ智恵がうかばないやうな年寄からはものをきかないことにした、鶏に羽虫がついたときなどは、どん/″\と殺してしまふことに決めたということである。

  魚の座談会

 鎌倉の海で『蛸』を中心として、魚類精神を論ずる座談会といふのが開かれた、司会者は、とらへどころのないのつぺりとした理論を吐くことで定評のあるクラゲ氏で、論理を翻すことで有名なヒラメ氏、墨を吐くことで相手をごまかす常習者イカ氏、毒をもつてゐることを自慢にしてゐるが喰はないものにとつては少しも恐ろしくないフグ氏等、十五匹が蛸を中心として『魚類精神』を論じあつた。
 大体この催しは、この鎌倉のグループで発行してゐる雑誌『魚類界』の座談会記事をつくるのが目的で開かれたもので、魚達は勝手気儘にどれだけ泡をふいてしやべつても構はない性質のものであつた。
 この会での蛸氏の位置といふものは、なかなかデリケートなもので、一見議論はさかんなやうで、他の魚達が蛸氏の議論に喰つてかかつてゐるやうに見えるが、実は誰も蛸氏の議論を頭から押へるといふ力のあるものがなく、多くの出席者は、蛸氏の脚の一本づつをとらへて、その脚の先を捻る程度のもので、そのことで却つて蛸氏の位置が支へられ、また押へる方も蛸氏に捲きついて貰ふといふ安全さを利用した。
 蛸氏もまた心得たもので、如何なる場合にも絶えず論敵の肩に手をかけることを忘れず、一匹の子分が脚を離れても、必ず他の一匹を捉へてをくといふ蛸氏の腹黒さは徹底したものであつたが、それを知つてゐてか知らないのか、とにかくこのグループは表面甚だ仲の良いものであつた。
 座談会が終ると、一同に酒が出た。
『座談会も終つたからいゝが、実際こんなことは書いてもらつてはこまるがね―』
 などと身をふるはすことで深刻さうな電気ナマヅ氏が話を切りだすと、それはそれは面白い魚達の内輪話が始まり、さて酒が廻つてくると、話に拍車をかけて女の話やら、猥談やらそれはそれは賑やかになつた。
 次いで魚達のエゴイズムが酒によつて発揮されてくると、あちこちで悪口の言ひ合ひが始まり、怪しげなダンスが始まり、席は益々乱れてきた。
 蛸氏はグイグイと麦酒をあほり、傲然たる態度を示してゐたが、突然席の向ひ側に坐つて飲んでゐたカツオ氏の顔へ、蛸氏は手にしたコップの麦酒をかけた、カツオ氏はグッと癪に触つたが、酒の上のこととして勘弁し、鰭をもつて顔にかゝつた麦酒を拭つた、すると又もや蛸氏はコップの麦酒をカツオ氏の顔へかけた。
 度々のことにさすがの温厚なカツオ氏も、非常に腹をたて、さてその復讐の方法としてカツオ氏は、食卓の上の醤油の容器《いれもの》をパッと蛸氏の顔にかけ、次にその傍の砂糖の容器をなげつけ、つゞいて酢の入つた容器を投げつけたので、蛸氏は醤油と砂糖と酢とをあびて、はからずも蛸の三杯酢ができてしまつた。

  国際紙風船倶楽部

 世界各国の紙風船の愛好家の集りに、国
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