にも倒れさうに傾いてゐた。
 遊戯といふのは、猿達は第一の木に飛び移るとき―『日本』と叫び、そこから次の木に飛び移るときには『的とは―』と叫んだ、そこから第三の樹に移るときには『何か―』と叫んだ、そして猿達はいり乱れて、『日本』『的とは』『何か―』と口々に叫びながら枝から枝へとび移つた。
 しまひには遊戯が混乱して、『的とは』『日本』『何か―』となつたり『何か、的とは、日本』と前後したり、めちやくちやな遊びになつた。
『諸君、落着きたまへ』と哲学的な猿が一同を見廻した、この状態では何時までたつても『日本的とは何か―』といふ疑問は解決できないから、一本づつの樹で、ひとつづつの問題を解かうではないかと提案した。
 つまり第一の枝に飛び移るときに『日本とは何か―』と叫んでしまふことであつた。次の樹では『的とは―何か』と叫ぶのであつた、が、三番目の樹に移つたとき『何かとは、何か―』と叫ばなければならなくなつたので、問題が一層わけがわからなくなつてしまつた。
 すると樹の下の波打際で、大笑ひをするものがあつた、猿達がこの笑ふものの正体をみると、それは波の音であつた。
 猿達は怒りながら質ねた。
『笑つたのはお前か、お前は何者だ―』
 すると
『僕は波だ、スペインの海岸からたつたいま君達の日本の岸へついた波だ』
 つゞいて次の波が言つた。
『僕は支那の海岸から、日本の岸へ着いた波だ―』
 つづいて浦塩から着いた波や、アメリカから着いた波達が答へた、この国際的な波の笑ひは次第に高くなつていつた。

  果樹園のアナウンサー

 果樹園に大きな望楼が立つてゐた、この望楼は、果樹園の所有者が建てたもので、この国でいちばん声のきれいな、声の高い男が選ばれて、沢山の給料をもらつて、雨の日も風の日も、この望楼の上に立つてゐた。
 このお喋《しやべ》り男は大きな声で叫んだ。
『こちらは果樹園の望楼でございます、只今北風が次第に強く海の方から吹いてまいります、みなさん木が倒れぬやう御注意下さい―』
『こちらは望楼でございます、たいへん果実に虫がつくやうでございます、リンゴには紙袋をおかけ下さい―』
 時には
『××さんの柿が熟れました、只今三個落ちました、これは本年最初の熟柿でございます』
 などと大きな声で叫ぶのであつた。
 このお喋り男は雇はれるとき、主人との約束で、自分のことはしやべつてはいけない事、果樹園の主人が伝へてよいと許したこと以外にはしやべれない事になつてゐた、彼は自分のことは唖のやうに黙つてゐなければならなかつた。
 或る時、大|海嘯《つなみ》が突然やつてきた、果樹園の人々は狼狽して果樹園の背後の山へ避難したが、望楼の男だけは、最後まで望楼に踏み止まつてお喋しつづけた。
『みなさん、御安心下さい、只今水は二米減りました、××方面では三米、××方面では四米減りました、××さんの李の木が五本倒れました、被害は思つたより僅少であります、間もなく水が引くと思ひます』
『御避難の方へ申しあげます、××方面はもう大丈夫ですから随意お帰り下さい―』
 間もなく洪水は収まり、人々は果樹園に帰つてきた、人々はこのお喋り男の、英雄的な勇敢な行為と、果樹園への奉仕ぶりに感動して、勇士だと褒めた。
 ところが人々はこのお喋り男の真個《ほんと》うのことを知らなかつたのであつた、この男は勇士どころか一番の臆病者で、最初果樹園に水が襲つてきたとき、男は真先に望楼を駈け下りて、逃げださうとした、そこへ果樹園の主人がやつてきてこの臆病者を、望楼の柱に繩でしばりつけてから、主人は手にした鞭でぴしぴしと男の尻を引つぱたき、強制的に果樹園の安全なことをお喋りさせたのであつた。
 水が引いてから主人はお喋り男の尻を撫でてやつて『いや御苦労々々』といつて褒美の金一封を渡した上、新聞に勇士らしくかきたてさせたのであつた。
 果樹園の人々は後で事情を知つてから、この望楼男のお喋りすることを少しも信じなくなつた、なぜといふに男の傍にはいつも果樹園の主人がついてゐて、鞭で尻をうつて、果樹園の都合の良いことだけをお喋りさせてゐるといふことが判つたからであつた。

  百歳老人の話

 ある村に、何時の頃から生きてゐるのか判らないほど歳をとつた老人が住んでゐた。
 村の人々は、この老人を『百歳老人』と呼んでゐた、村随一の物識りで、村に何か面倒な事が起きると、村の人々はこの老人の住んでゐる村端れの家まで『如何したものでございませうか―』ときゝに行つた。
 ごたごたがどうしてもまとまらない時は、村長が老人を迎へに行つた、老人は長い竹の杖をついて出て来た。
 この竹の杖の節はくりぬかれて、中には薄荷水が詰めてあつた。
 老人は村の歴史をよく知つてゐて、村の騒擾《ごたごた》を捌く智恵を沢山もつてゐた
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