洋菓子店で偶然に知り合つたのです、或る日私は若い友人とその店のテーブルを囲んで、熱心に話しこんでゐました、話が『自然科学』にふれたとき、一隅から私に声をかけた男があつたのです。
『失礼ですが、貴方のいまのお話しは間違つてはをりませんでせうか―』
 とその男は話しかけるのです、見ると全く見も知らぬ年頃三十歳位の、小綺麗な服装をした、嫌味のない好青年でした。
 ぴつちりと身についた洋服を着て、髪は髪油で光り、勤め人風に刈りこまれ、鼻の下には官吏らしい短かい髭と、薄い唇とがありました、彼は落着いた声で私に話しかけるのです、彼が表面の落着きに反して、興奮してゐることは、彼の手にもつた細味のステッキがぶるぶると小刻みにふるへてゐるのでわかりました。
 青年の傍には、背の高い服装も化粧も万[#「万」に「ママ」の注記]艦飾の若い女が坐つてゐました、青年と女とは顔型の上からも性格の上でも全く似たところがなかつたので、この二人が兄妹だとはそのとき思はなかつたのです。
 私は見も知らない男から、突然非常に論争的な態度で話し掛けられたことは、決して良い気持ではありませんでした、しかし私は『これは面白い―』と好戦的なものが、ムラムラとわいてきました。
『ひとつ気のすむまで、何処の馬の骨ともわからぬこの男と議論をしてやれ―』
 と思ひましたので
『私が何か間違つてゐるやうな、貴方のお話しですが、それはどういふ理由からでせうか―』
 すると彼はつとめて冷静にしやべらうとして、嫌らしい程の特別に丁寧な言葉を選んで、話しかけてくるのでした。
『ははあ、あいつは英国流の紳士だな―』
 と直感しました、そこで私も英国流の紳士か、十九世紀のロシヤの貴族のやうな、胸糞の悪くなるやうな形式的な、くすぐつたいほどの言葉を選んで話しかけてやれと思つたのです、たとへば
『君、明日僕の処に遊びに来給へよ―』
 と率直に言つてのけるところを
『ちよつとお伺ひいたしますが、あなたの御都合がおよろしかつたら、お差支へがございませんでしたら、私の宅までお越し下さいませんでせうか、もしおいで下さるやうでしたら私の一家にとりまして、これ以上の光栄はございません―』
 といふ風な、極度に引きのばした言ひ方で、この見も知らぬ議論好きの男をからかつてやれと、ある残酷な気持になつたのです、
『貴方といふ方は、私はすこしも存じませんので
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