子をとらずに、ただそれに軽く指をかけただけで、挨拶をしたことになるといふ習慣にかはりました、しかしお低頭好きの連中は反対しました、ことに老人たちははつきりと口に出して
「いまの若い連中は、おじぎをすることを忘れてしまつて、まことに嘆かはしい時代になつたものだ――」
「ことに怪しからんのは、神社やお寺の前に行つても帽子をぬがんことぢや――」
と言ひました。
女達が男と同じやうに、帽子をかぶり始めてからは、一層非難が起きました、女たちは今ではお低頭をしないばかりか、頭に帽子をくくりつけて、風にふき飛ばされないやうな仕組みにつくりかへました。かぶつたまゝで、なにもかにもすましてしまふやうになつたのです。
お低頭をすることが少くなつたので、バッタの国の政府では、それを非常に気にしはじめ、殊に老[#「老」に「ママ」の注記]寄りのお役人たちは、「帽子に関する法令」を新しくつくらうと言ひだしました。
小学生、女学生、中学生、大学生や、一般国民に、新しい時代の正しいお低頭の仕方を、法律できめようといふのでした、学生や一般の市民がどんな風に帽子をぬいだり、かぶつたりするかを調べるために、帽子調査委員会といふのがつくられました。
女学生たちにも帽子をぬいでお低頭をしなければいけない――といふきつい法令を言ひ渡したのです、お役人たちは古い法律はそのまゝにしておいても、いつも新しい法律をつくりだして、つぎつぎと世の中に示さなければ、なんだか不安でたまらなかつたのでした。
それに法律でもつくつて、何かしら自分の机の上の書類を、ガサガサと引つかきまはしてゐなければ、死ぬほど退屈でならなかつたのでした。お役人たちは帽子調査委員会の仕事でその退屈を救はれました。
しかしそのうちお役人たちは、何となく自分自身の帽子のことが気になり始め、そつと自分のかぶつてゐる帽子に手をふれてみました、帽子はたしかに彼の頭の上にのつてゐたのです、そこで安心をして、机の前の腰掛に腰をおろしました。
「あゝ疲れた、こないだから帽子の法律のことで、わしの頭の中はいつぱいであつたよ」
彼はほんとうに帽子のことで、頭の中がいつぱいであつたことが、苦しくてならなかつたかのやうに軽く頭を左右にふりました。
「あゝ帽子、国民の帽子、そして我々官吏の帽子だ、帽子、帽子だ、国民と帽子の関係は、こんどの法律で完全に結ばれた
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