とき犬は明瞭な声で、
『文字を知らないからさ――』
 とぶつきらぼうに答へた、このとき博士はとつぜんどこかに隠れてゐた人間の優越感と、権威とが目ざめたのであつた、博士はガラリと玄関の障子を引あけると同時に割れ鍋を叩くやうな大きな声で犬にむかつて吐鳴つた、
『この化犬め、出てうせろ――』
 するとプーリはみるも惨めに尻尾をくるりと尻の間に挾みこんだと思ふと、前肢で玄関の戸を開いて、出て行かうとしたが鍵がかゝつてゐて開かなかつた、博士は玄関の土間へ裸足のまゝとびをりて、ガチャガチャいはして鍵をはずして、戸を荒々しく開けひろげると、プーリは博士の股の間をするりとくぐりぬけてあわてゝ戸外にとびだした、さうして博士の家では、新聞を読まうとした女中と、新聞を読んでゐた犬とを解雇した、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
社会寓話集


  日本的とは何か―の行衛

 小さな島に沢山の猿が棲んでゐた、こゝの猿達は『退屈』といふことを知らない、なぜなら彼等は話題を失つても、叫ぶことを忘れないからだ、彼等はキャッ、キャッと叫んで一日中島の中をかけまはつてゐた、ところが猿達を沈黙させる大事件が起つた。
 或る日、大暴風雨が島を襲つた、草は倒れ、岩石は飛び、樹木は空に舞ひ上り、猿達の住居と遊び場は全く奪はれた。
 島には三本の樹より残らなかつた、一本の樹は風のために枝を裸にされて、たつた二本の枝より残らなかつたし、二番目の樹には二本の枝きり、三番目の樹には六本の枝、つまり、二、二、六計十本の枝より猿達のとびまはる枝がなくなつた、猿達はその暴風雨のことを、枝の数で呼んで、二、二六事件と言つてゐた。
 この事件があつて以来、猿達の叫び声は、恐怖のために身ぶるひし、一倍元気のよい大猿も低い声で叫ぶやうになり、わけて常日頃元気のない猿などは、沈黙してヒイヒイと泣くやうな声より出すことができなかつた。
 ところが突然一匹の猿が大声をあげて叫びだした。
『諸君、我々はあの位の暴風雨によつて沈黙してゐるべき時ではない、大いに叫び、大いに遊ぶ時である、我々は、我々の住んでゐる島がどんな島であるか、はつきりと知らねばならない―』
 そしてこの猿の音頭取りで新しい遊戯が始まつた。
 三本の樹を枝から枝へ、とび移る遊戯であつた、樹は波の打ちよせる崖際に生へてゐて、樹の根元は絶えず洗はれ、樹はいま
前へ 次へ
全93ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング