海へ行かう、海へ行かう、海は美しいとアイヌ達を連れ出して、おれと同じやうな苦しい、さびしい思ひをさせてやらねば、気が済まない――』
 腐つたマナイタは、そこで悪魔にかはりました、そのマナイタの精霊はアイヌを呪ふ心にもえて、人間の姿に化けたのでした。
 あまりの憎らしさに酋長の妻が罵つた『腐れイタダニ奴――』といふ言葉に、マナイタの精は、その正体を見あらはされて、その神通力を失つて死んでしまつたのです。
 またそれが長い間のかなしい海を漂ふ苦しみからはじめてマナイタが救はれたのでした。その魂は清い汚れのないものになつて天に昇つて行つたのです、アイヌ達よ、お前達は山小屋に、自分の使つた刃物や、マナイタや、そのほか何でも、置き忘れて来る様なことがあつてはいけないよ、主人を失つたこれらの品物が、どんなにひとりで淋しく山奥に暮してゐるかと云ふことを考へてやらなければいけない――からマナイタの神様は夢枕でお告げになつたのでした。酋長は夜が明けると、早速村のアイヌ達を呼び集めて、このマナイタの神様のお告げを伝へました。それからアイヌ達は山奥に自分の使つた品物を置き忘れて来るやうなことのないやうにしました。(小熊夫人書き写し)

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タマネギになつたお話

 悪魔は、小さな村にやつてきました。誰にも気付かれないやうに、村はづれの一軒の百姓家の、鶏小舎の中にしのび込みました。
 この小悪魔は、それはしづかに、しづかに、足音もたてないやうにしのび込んだのでした。しかし耳さとい雄鶏は、早くも小悪魔の姿をみつけたので、大きな声をはりあげました。
『さあ、みんな戸じまりをしつかりして』
 と雌鶏たちに注意をいたしました。
 そこで雌鶏たちは、悪い卵泥棒がしのびこんだなと思ひましたので、用心をすることにいたしました。
 なかにはつむつた眼を、かはるがはる明[#「明」に「ママ」の注記]けて用心をしながら眠つてゐるものもありました。
『お前さんは、なんて人相のわるい男だらうね、耳のかつこうといつたら、俺たちのケヅメそつくりにとがつてゐるし』
 雄鶏は、鶏小屋の梁の上に、眼をしよぼ、しよぼ、さしてうづくまつてゐる悪魔を仰ぎながら言ひますと、悪魔は、うるささうにじろり、と見下したきり、それには答へませんでした。鶏たちがゆだんをしてゐたら、そこからとび下りて、喰べてしまはうとしてゐたのでせう。
 夜が明けました。悪魔はなかなか早起きでしたから、早起き自慢の鶏たちでさへ、彼にはかなひません。鶏たちが眼をさました頃には、もう梁の上には、その姿がありませんでした。
 悪魔が、そんなに朝早くから、どこへ出かけたのか、誰も知つたものがありません、そこで鶏たちは頭をよせて、いろいろと、このあやしい梁の上の悪魔のことを話し合ひました。
『夜中に、ごそごそと音がしたね』
『僕もきいた、あれは背中をかいてゐたのだよ』
『ちがふよ、何かをといでゐるやうな、いやな音だつたけど』
『きつと、爪をといでゐたのだらう』
『みんなは悪魔がなにに化けるか注意してゐなければいけないよ、そしてもしミミヅにでも化けたら、すぐ喰べてしまふんだね』
 鶏たちはこんな話をいたしました。
 その翌る朝
 一羽の雌鶏が、小悪魔がどこへ、まい朝出かけるのか、その後をそつとつけて見ました。
 すると悪魔は、ピョン、ピョン、とはねて蛙のやうな足つきをして、村へ入りこみました。そして、一軒ごとに、百姓家の窓に、はひ上つてその窓から首をつきいれて、
『娘さん、お早う』
 と娘さんたちに朝のあいさつをして歩るきまはつてゐました。
 そして片つぱしから、この村の娘さんのゐる家といふ家を、のこらずあるきまはるのです。
 娘さんは、窓から、ちいさな気味のわるい顔がとつぜんあらはれたので、びつくりします。
『まあ、なんて気味のわるいひとなんでせう。とつぜん顔なんか出してさ、挽臼《ひきうす》にいれて粉にしてしまひますよ』
 となかには、プンプン怒る娘さんもゐました。娘さんたちは、悪魔の朝の挨拶などは少しも気にもとめず、さつさと身じたくをし、何時《いつ》ものやうに鍬を手にして畑に、働らきにでかけました。

 この村に、たいへん美しくそしてまたオシャレな女の子がをりました。悪魔はその女の子の家の、高い窓にいつものやうに、ひらりと飛びあがつて、猫撫で声で、
『娘さん、お早う』
 といひました。
 女の子は、大きな鏡のまへで、お化粧の真最中でしたが、この声をきいて窓を見あげました。窓の上には、なかなかりつぱな八字鬚のある男が、顔を突出してをりますので、
『お早う、お入りなさいな』
 といつて、につこりと笑ひました。すると悪魔は、ひらりと窓から部屋にとびをりて、ふいに娘さんの頭にとびかかり、女の子の髪の毛を、一つかみむ
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