バー》の娘さんは、不機嫌な顔をいたしました。そして
『お酒をやめなければ、あなたは偉い人間にはなれませんよ。』
 といふのでした。
 さてその男の、馬鹿げた話といふのは、かうなのです。
     *
 男は、北海道の、それはそれは広い、草ばつかりの丘の上で豚飼をはじめたのでした。
 まず最初、三頭のりつぱな種豚《たねぶた》を買ひこみました。この三頭の親豚を資本《もとで》にして、四五年のうちに、五六十頭も子豚を、殖やさうといふのでした。
 豚は、玩具《おもちや》のやうな小さな貨物列車にのつて、やつてきました。男はその三頭の種豚を、駅まで出迎へにまゐりました。
 豚たちは、いづれも元気でした。長い旅行をしてきたのに、脚一本傷ついてゐなかつたのです。豚はぴんぴん跳ね、そのあたりの草原をころげまはりました。
 男もうれしくなつて、道の傍から、一本の棒切れを拾ひ、それで上手に、三頭の豚のお尻をかはるがはる殴りました。そして豚小屋の方に連れてゆきました。
 ところが、男は道をまちがへて、とんでもない、河のあるところへ出てしまつたのです。
 そこで男は、河の面《おもて》をながめながら、ちよいと小首をかたむけて、思案をしました。
『ちよいと、豚さん冷めたいよ』
 かういつて、豚飼の男は、三頭の豚のうちで、いちばん肉づきのよい、重い豚の首筋を押へつけて、河の中にいれました。
 その河へ押入れられた豚は
『いやだ、いやだ。』
 としきりに首を振りました、男は
『やつこらさ。』
 とその豚を手早くひつくり返してしまひました。そしてその豚をお舟にして、一頭を小脇に抱へ、一頭を背負ひ、男は豚のお舟にのりました。そして無事に、男と二頭の豚とは、向うの河岸《かし》に着くことができましたが、可哀さうに、お舟になつた豚は、たらふく水を飲んだので、岸につくといつしよに、ぶくぶく沈んでゆきました。
『これは大変なことが出来たぞ、これを死なしては大損だ。』
 男はうろたへて、その豚のお腹を、力まかせに、殴つてみたり、さすつて見たりいたしましたが、とうとう生き返りませんでした。
 そこで仕方なく、その死んだ豚は、通りかかつた農夫にやつてしまひ、生き残つた二頭の豚を追ひながら、夕方ちかくになつて、新らしく建てられてゐる豚小屋に着きました。
 翌日のことです。
 一頭の豚は、男が親切に、とり替へてやつた[#底本
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