生れながらの娘のやうにうまい
「これは失礼――」
彼女は生れながらの娘であつた筈だ


滝沢修論

『夜明け前』の主演で
彼が蓮の葉つぱを
頭にのつけて舞台に
出てきたときはゾッとした、
私といふ一観客は
そのとき役者が
うらやましくなつた。
民衆は気狂ひにならうとしても
なりきれないものがある
俳優が舞台の上で
狂気を実演する
幸福を考へたのだ。
民衆の慾望の代弁者として
俳優の表現はあくまで自由でありたい、
滝沢修は言葉の俳優だ、
好漢惜むらくは
ファウストの作者ゲーテの悩み
『はじめに行為ありき』
を悩みつくしてゐない、
セリフの俳優滝沢が
行為の俳優滝沢と
なる日を待たう。


宇野重吉論

演技が悪達者になることを
極度に怖れる良心が
俳優には欲しい
さりとて、あんまり皮を硬ばらして
中身のアンコを
はみ出さないやうに頼む、
こんがりと焼けたタイコ焼のやうな
演技を見たい、
宇野重吉はいつ遭つても
生娘のやうにおどおどしてゐる
舞台の上でもまたそのやうに
おどおどした妙味がある
彼は新協の論題
素朴的演技の
鍵を握つてゐるだらう
少し賞めすぎたかな――。


三島雅夫論


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