のやうに
陽の光りををづをづと
建物の間から盗み見てゐる、
こはばつた靴で
かたい歩道をあるくとき
一足ごとに
優しい心は打ちつけられ
良くないたくらみを起こさせる、
農夫も見ず
牛も見ず
牛は耳の下にツノがあるのか
ツノの下に耳があるのか忘れてしまつた、
鋤の格好も忘れ、
鎌を磨ぐことも忘れた、
都会はどこへ行つても
心に反撥する堅い路、
懶く物を考へ
いそがしく走り
かなしく酒に酔ふところ、
村のやうに
黄色い穂がさわがず、
ボロのやうな人々の心がさわぐところだ。
−−−−−−−−−−−−
愚鈍詩集
病気
大馬鹿者が病気となれば
一日中寝台に寝てゐる
手萎ひ、足萎ひ
起きることができない
ハラワタは比較的順調なれば
食慾は徒らにすすむ
細りもせず
肥えもせず
健康でもない
さりとて病人でもない
大馬鹿者はとにかく
こゝまで生存してきた
雑炊をつくり
それに鶏卵を放つて喰ひ
むなしく一羽の雛つ子が
誕生するのを拒否してしまふ
茶の葉をせんじて飲み
熱いといつては癇[#やまいだれの中は「間」]癪を起して
茶碗を傍になげとばす
カミソリをもつて髯をそる
手元甚だ危ふし
崇高な哲理を考へようとすれば
アクビがでゝくる
所詮、横つ腹のキルクの栓を抜けば
君も僕も糞尿飛びだす体なり
あゝ、崇高なる
一切のもの
価値なし
雑炊のごとしか。
乱酔
遊蕩児のやうに
卑しい情歌を歌ふ
スリ、悪漢のやうに
指を動かしてものを握る
握ればすぐ放し
捕らへれば砕いてしまふ
あゝ、大馬鹿者の乱酔は
さびしさ限りなし、
怒つて電信柱に突貫すれば
電信柱は少しも妥協しない
押しあひ、へしあひ、引き分けとなる
しばし街燈の
仄かな光のもとに睨み合ふ
やがて呵々大笑して
大馬鹿者、電信柱に
頬づりをして袂別する
夜更の街をうろつく
羞恥をいれた袋を忘れた男が
それを探しまわるやうに
街から街、露路から露路の暗がりを
恥外聞もわすれて
着物の胸をはだけてさまよひあるく
光りを求めて
光りそこになし、
まもなく『おでん』屋の時計
短針、十二時を指し
長針、ゴトリと音して
一気に三十分まはる
あゝ、時は
青春の羞恥を
彼方の空にはこび去つたか――、
大馬鹿者、悲しんで泣けども
涙一滴もでず
怒つてみても腹立たず
笑へども、おかしくない
闇には蜘蛛の巣の
階段がつくられてある
酔ひ心持ふらふらと
天にむかつてそれをのぼる。
失恋
月は物欲しさうに
街を照らす
私は何んにも欲しくない
お寺と墓場と空地のまんなかを
私はたつた一人で帰つてゆく
私は物の影を愛し
しきりに物の実体を憎みだした
古今無類の悪傾向に陥てゐる
すべてを追ふことを中止しよう
捉へ難い影を追ふ楽しみにひたるとき
きつと悪い運命がやつてくるだらう
銃よ、鳴れ、激しく、高く、
どこかで一発撃つてくれ
私は私の立つてゐる位置を
その銃の音で知ることが出来やうから
銃の鳴つた方向に
いつさんに走つてゆく
撃たれるために
走つてゆく鹿のやうに――、
足も軽々と
心も躍らせて
月をあざけり
街を黙殺しながら
私は猟師の
ところに走つて行かう
ステッキ
心にわだかまりがあれば心臓病だ
頭に沈滞あれば脳病だ
地がゆらげば地震なり
天が騒げば暴風雨なり
――人間、自然を超えて
果して理想ありや、喝、
あゝ、病患と悦楽は
わが坩堝の中に
水銀と水のやうに反撥し合ふ
水銀が右に行かうとすれば
水がそれをはばむ
水、左にゆかうとすれば
水銀がこれを嘲弄する
あゝ、釦の穴ほどの
小さな私の人生観に
彼女が糸を通してしまつて
いまは全く身を通り抜ける何ものもない
曾つてはこの一つの釦の穴ほどの
小さな人生の覗き眼鏡には
さまざまな現象が映つたものだ
ある日は、はげしい夕焼が
鮭の腸わたの血の色よりも赤く
海の上を過ぎたものだ
いまは全く暗い、
いまはぼんやりと街の街燈をながめ
ぶつぶつと呟やきながら
加へたり引いたり掛けたり
おのれの運命の区分に時を費やす
なぐさみと真実とを行き来する
泥酔の瞬間は楽しい、
手にしたステッキは
舗道をたたきて割れたり
ステッキを地に振れば危ぶなし
天に投げれば更にあぶなし
空間に捧げもてば疲れる、
まゝよとステッキを投げとばして
冷めたいアスファルトの上に坐りこむ
そのときステッキは、
すつくと立ちあがつて
泥酔の主人を見捨てゝ
深夜の舗道を
コツコツと足を鳴らして去つてゆく。
墓場
大馬鹿者墓場の中に
まよひ込む
一つの墓には
イエスの十字架きざまれ
一つの墓は崩れかゝつてゐる
もう一つの墓大理石鋭どく磨かれて
大馬鹿者の顔がうつる
そこには影のやうに
女の顔もうつつてゐる
墓はあるものは欠け、あるものは崩れ
しだいに忘却の土の中に沈んでゆく
新しい墓の前には
しきみの葉を挿し
線香の煙立ちのぼる
大馬鹿者、墓の林の中を女と散歩す、
心はいさゝかも鬼とはなれず
青春の蕩児のやうに
枯葉を蹴飛ばしながら
新しき運命のために
手さぐりでゆく盲人の散歩のごとし
一つの墓石をはぎ起せば
そこに幸福に通ずる道もあらう、
あゝ、しかし今は
幸福と不幸との境目に立つて
静かに時の到るのを待つばかり
雲足は早く
風は冷めたく
墓場に添ふ石垣の傍で
ルンペン達が焚いてる炭俵の火の
仲間にいれてもらふ
手をかざし、焔を靴をもつて蹴る
――人生に暖きものは、火か、
恋愛の尽きたるところに墓あり
墓の尽きたるところに火ありか
大馬鹿者墓場を出で、
その感がふかい。
駅構内
どんなにいそいだとて
道はいそがれない
先づ落着いて
ゆつくり歩るく
私の散歩は行手よりも
あたり見ること忙がしく
とかく鬱陶しい旅でござる
夕暮れともなれば
鐘が鳴る
一つの鐘を中心に
六つの鐘の音が入り乱れる
トンカン トンカン
トンカン トンカン
あゝ その鐘の音をきくのはたまらない
崖の上から見下ろした
暗がりの駅構内
穀類の俵をはこぶ労働者
線路に突入する
貨物列車には
なつかしや豚共
押し合ひへし合ひ
到着せり。
デッサン
大馬鹿者、画家の仲間にまぢつて
デッサンなるものを描いてみる
女、素裸で立ち
何の変哲もなし
前を向き、後を向き、横を向く、
ひざを立て
ひざを下ろす
刻々に姿態を変化させる
これを称してクロッキイといふ
画家達、眼をつりあげ
唾をのみ下し
あわただしく紙を
サラサラと鳴らす、
大馬鹿者つくづくと
女の肉体の中心をみる
そこに臍あり
臍とは肉体の
永久のほころびの如し
子供のころ
こゝのゴマといふものを取り出して噛み
ほのかにわが肉体の味を始めて知つたことがある
大馬鹿者つくづくと
モデルのほころびを眺め
感極まる、
画家たち眼を怒らし
鉛筆をかみ
あわただしく
かくて百千の女を
描けども
天国は
遂に来らず
−−−−−−−−−−−−
哀憐詩集
黒い洋傘
争ひもなく一日はすぎた
夜は雨の中を
黒いこうもり傘をさして街に出た
路の上の水の上を
瞬き走る街の光りもなまめかしく
足元の流れの中にちらちらする、
目標もなくただ熱心に雨の街をさまよふ
哀れな自分を黒い洋傘の中にみつけた
しつかりと雨にぬれまいとして肩をすぼめ
とほくに強い視線をはなしながら
暗黒から幸福を探らうとしたとき
瞬間の雨の音のなんといふ激しさ、
心の船はまだ沈まないのか
さからふもの、私の彼方にあるもの
お前波よ、私の船をもち運ぶだけで
お前は、遂に私を沈めることができなかつた、
雨の日も、嵐の日も、晴れた日も、
私の船は、ただ熱心に漂泊する
私の心のさすらひは
いかなる相手も沈めることができない、
私の静かな呼吸よ、
地球に落ちてくる雨、
小さな心を防ぐ、大きな洋傘、
豪雨の中に
しばらくは茫然とたちつくして
私は雨の糸にとりかこまれた、
あたゝかい肉体、
生きるものゝ、さまよふ場所の
なんといふ無限の広さだらう
暗黒の空の背後には
星を実らした樹の林があるにちがひない
それを信じることは、私のもの
黒い洋傘の中は、私のもの、
交叉点
私は他人のためにも自分のためにも不安になつてゐる、
すべての人々は生命の延長と
死の接近との交叉点にたつてゐる
それは一つの肉体で
二つのものを果たさなければならない悩みだ、
立ち去らない不安
それは立ち去らない生命のことだ、
まだやつてこない悲しみと
喜びのために焦らだつのだ、
人々の肉体とそれを取巻く外界との
意地の悪い物理的な圧力の争ひを
けふも私は街でみたのだ、
私はそれをみて頭痛を病んで街をさまよつた
吸引の強いポンプが
人々の肉体と心から水分のことごとくを掻きだし
そのはげしい高い響を
省線ガードの傍で
夜となく昼となく
スチームハンマーのやうに聞いた、
いまは残されたものは生命だけだ、
それをもち運ぶものは肉体であつた、
取り去ることのできない生命の凝結、
さらば私よ、いつかは滅べ
時が生みだした私生子よ、
お前人間の肉体と生命よ、
地球の中にもう一つ私の地球がある
私は地獄に陥ちたのだと
人々に噂されてゐる
ほんとうだ私は救ひ難い奴だ、
救ひ難いところへもグングンと這入りこむ
私は乱暴で、奇怪な、感情をもつてゐる
私はそしてあらあらしい風のやうな呼吸をする。
だが、さまよふ私の心は誰も知らない
私は野原を行くが、
自然の野の中に、もうひとつ私の野をもつてゐる、
私は町をあるくが、
人々の町の外に、もうひとつ私の町をもつてゐる、
あゝ、地球の中にもうひとつの私の地球をもつてゐる、
人々は私の孤独を、私の地獄と呼んでゐる
近よりがたい敬遠と
引き離された距離に私は立つてゐる、
人々は私を悪魔のやうに嫌がる
地球の中に地球がある、
人々の愛の中にではなく、
人々の愛の外に、私の愛がある、
寝台の歌
生きるといふことがどんなことか
繰り返し考へてみた
だが結極《ママ》はわからない
現在――、だけが生きることだらう、
過去――そんなものは信じたくない、
僕の過去は自分が踏み荒し
他人にも踏みあらされてしまつた、
未来――そんなものはない、
「未来」といふ言葉が残つてゐるだけだ、
眠つてゐる間も生きてゐた
そんなことは少しも嬉しくない
眠りから死へ――、
そのまゝつづいても何とも思はぬ
ふと眼がさめる
爽やかな朝だ、
すべてが新しくまるで生まれた許りのやうだ、
無精に赤ん坊のやうに
本能的になり我儘になる、
そして夜が来た
僕は寝台にはいつたところだ、
僕の慾望は一日のうちに赤ん坊から年寄までの
感情生活をやつてしまひたい
それですべてが終るのだ、
あすの窓が明るくならなくても構はぬ
僕の寝台よ、
お前は眠りから真すぐに死へ墜ちないのか、
だが暁の寝台は四つの脚を
さわがしく音たてゝ
またもや僕を眼覚めさせるだらう。
心の敷物
いまも呪咀と罵りの
いつぱいはいつたトランクを引つさげて
私は寝床をぬけだして
朝の街の中に走りだした
生の中にもちこんだ赤い死の色
私の眼は死に光り
生きてゐるにぶい感能のない通行人や
電車の中の愚鈍な眼の人々に
その私の視線をつめたくをくる、
彼等の眼を蘇生させることは空しい
そして私は一日中街をかけまはつて
疲れて寝床に帰つてきてその中にもぐる
自由にふるまへ私のいのちよ、
朝と夜との間によりそれはないのだから、
飢えたら自分で自分の舌をしやぶるのだ、
漂泊の精神、
建物と建物との間を
自然の陰影を悲しみながら通過する
一日中かけまはる心の敷物、
帰りにはズタズタに擦り切れて
血にまみれた旗印、
ばたばたと斃れてゐる私の無数の死骸、
納屋の中の青春
あゝ冬はいやだつた
青春はコールタールを塗つたくられた
汚れたワイシャツを着た私達の人生が
納屋の中のやうな貧しい家で
おたがひの心も肉体も
ガバガバと鳴つて暮らした、
いま漸く春がきて、
しかも習慣的に――、
沖からは塩気を含んだ風を岸におくつてきた、
体はそのためにしめつて
私達は始めて人心地になつた、
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